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報道の自由




前回の記事で、「民主主義には、自由な報道が欠かせない」という内容のお便りを紹介しました。

現在日本の報道の自由度がたいへん悪いと言われています。

そうした事が実感できる記事を紹介します。

元北海道警察釧路方面本部長の原田宏二さんが、朝日新聞のWEB言論サイト「論座」に記事を出しています。
題材は、安倍首相が北海道で選挙演説中にヤジを飛ばした人などを、道警が排除した事に関する内容です。

無料の記事ですので、この場で紹介しても良いと考えました。

警察記者クラブへの疑問と記者への期待(上)



警察記者クラブへの疑問と記者への期待(下)





上記記事とは直接関係ありませんが・・・・
あおり運転をし、相手のドライバーをなぐるなどして指名手配されていた容疑者が逮捕されましたが、逮捕の現場にすでに多くの報道陣がいるという事に異常さを感じています。
警察からの情報がなければ「実況放送まがいの取材」は出来ないし、たとえ容疑者であっても「さらし首にする」ような報道は、人権にもかかわるのではないかという疑問もあります。

こうした報道のネタをもらうために、メディアと権力が癒着でもしているかのような関係に見えることが、海外からとても懸念されている事の一つだと思います。



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おたより 《民主主義とは》

このブログの2つ前の記事《 2019年8月7日 『新聞読んで語ろう会』例会の報告(1) https://katarou123.blog.fc2.com/blog-entry-9.html

では、市民レベルでの「民主主義」理解度について、模索する語り合いをご紹介しましたが、この記事に寄せてお便りを頂いております。

 

その方(この記事に限りAさんと呼ばせて頂きます)は、2006年に『医療9条の会北海道』での加藤周一さんの講演で語られた「民主主義」についてのお話が、強く印象に残っているという事でご紹介いただきました。

(詳しい講演内容はこちら   http://iryo-9jyo.net/kesseikinenkouen.html )

 

 

そして、Aさんが「民主主義」について要約してくださったのが、以下の文です。

                                

                           

民主主義とは


2006年7月医療9条の会北海道の講演会で加藤周一先生が述べた言葉を紹介します。


民主主義の建前は選挙で指導者を選ぶことです。指導者が共同体に対して何をしているかを知り、それを評価し、投票行動によって表す。小さな村の村長なら何をしているかはわかりやすいが、国となると到底分かりません。だからどうしてもマスメディアでそれを知ることになる。民主主義は、かなりの程度正確に政府が何をやっているか、政党が何をやっているかをメディアが伝える限りにおいて意味をなします。

 それには報道の自由が大きな条件になります。報道の自由がなければ本当のことは分からない。本当のことが分からなければ選挙に意味は生じない。選挙に意味が生じなければ、代議制民主主義は成り立たない。民主主義が成り立つか、成り立たないかといったときに、いちばん基本的な問題の1つは、メディアが批判の自由を持っていて、客観的な報道をすることが可能だということが条件です。だからメディアの自由は大事です。

 

                           

                                   

Aさんの文は以上です。

 

私たち『語ろう会』が題材とするメディア、報道についての重要な考え方が、論理的に簡潔に紹介されていると思います。

 

それにしても、世界の中でも報道の自由度ランキングが極端に低下している今の日本のジャーナリズムについては、根本的なところからの立て直しが必要ではないかと、改めて思うところですが、皆様どのようにお考えでしょうか?



 

加藤周一さん19192008年12月

2004年に結成された「9条の会」の創設メンバー9名の中のお一人です。

東大医学部を卒業後、評論家、世界各地の大学での教鞭をとる等されました。



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2019年8月7日『新聞読んで語ろう会』例会の報告(2)

 

今回2つ目に選んだ記事は北海道新聞7月27日朝刊掲載の

『ホワイト国から韓国除外2日にも決定

輸出品目千品目以上か』という記事です。

 

 

前回の例会では、韓国からの観光客が減って来ているという記事を題材にしましたが、今回も日韓関係の悪化の問題を取り上げた記事についての語り合いをしました。

 

記事は、当初の半導体材料3品目の輸出手続き厳格化から更に韓国をホワイト国指定を解除する方針(記事が書かれた時点ではまだ決定してはいなかった)により、輸出品1000品目以上が(輸出手続きに時間がかかる等の)影響を受ける事になるのではないかという内容。

 

私、連絡係(Y)はその時点で知らなかった事なのですが、『ホワイト』という「言い方」に問題があるのではないかという事から、急きょ「言い方」を変更して、『Aランク、Bランク・・・』のように表現する事になったという事を皆さんから教えて頂きました。

 

後々考えると、それは上っ面を整えるだけのとても日本的な発想だなあと感じましたが・・・・

また、メディアによってはそのまま今も『ホワイト国』という言葉をつかっているようなきがしますが・・・

 

さて肝心の輸出に関する申請の簡素化の適応(ホワイ国指定)をする国のリストから、韓国を除外するというその理由は何なのか?という疑問。

 

当初の(それがなければ韓国半導体産業に大打撃を与える事になるという脅しとともに)3品目の輸出手続きの簡素化停止を決めた経緯が『韓国の徴用工問題への報復』だったという事が世界中の周知するところとなってしまい、「それは的外れではないか」という批判も浴びて、『理由変更!!!』とばかりに打ち出したのが『ホワイト国指定除外』だったような気がします。

 

日本政府(安倍官邸)としては、最初の3品目(指定解除)で、韓国は折れてくると目論んだのかも知れませんが、根本的にこの3品目除外の理由が、国際的に見て全く整合性がないと判断され始めたという事。

そして、むしろ戦後の後処理を経済分野でしかも脅しをかける手法で解決出来ると判断(経産省主導で外務省軽視の現官邸らしく判断)した事で、かえって話がややこしい方に進むという結果になってしまったのではないかと思います。

 

振り上げた拳の下ろし所を模索しながら、まさか日本側から間違いを認めたようには受け止められないようにするために、とりあえず「別の理由を付けてホワイト国指定除外(による韓国への圧力強化)」へと話をとっ替えたりすり替えたりするようにしているうちに、どんどんと拡大させてしまったのではないか?とも思います。

 

 

ただ、その後この行き過ぎつつあるこじれを解消させる動きもチラホラ見えて来てることも確かです。

 

例えば3品目の厳格審査を早々と「通過させた第1号の事例」を公表しながら、「始めから経済的にそんなに影響が出るような事をしたわけではない、最初からそう言っていたでしょう」という解説者まで出てきています。

 

落としどころを探りながら、しかし日本が謝るような結果になるような姿勢は絶対見せないという決意、日本の行政は絶対誰にも謝らないという見せかけだけは貫きたいように見えます。

 

 

一番の不安は、今回の対韓政策を日本国民の多くが支持しているという世論調査結果や、ホワイト国除外方針についてのパブリックコメントに寄せられた意見のほとんどが賛成だった(記事より)という事。

 

今回の語り合いでもこの事については、立憲民主、枝野氏から『政府の対応に一定の理解はする』というようなコメントが出されているという事が大きく影響しているのではないかという意見が出ました。

 

結局、日本人の多くは(与党も野党も)韓国政府をやり込めるような日本政府の姿勢をもろ手を挙げて賛成するか、あるいは心ひそかにでも、ある意味心地よく見ている節があるような印象を持たざるを得ません。

 

日本人の心の中への『反韓』という憎悪心、侮蔑心、差別心の浸透の(異常なほどの)根深さに対し、自ら懐疑心を持つ事が出来る日本人はかなり少ないという事でしょうか。

 

韓国の市民が自主的に始めた日本製品不買運動を政府主導で行おうとした事に、韓国市民が反対して行政が作成したキャンペーンの旗を市民の意向で回収させた事に対し、日本の市民も積極的に韓国市民との融和を推進しなければならない、そう思う市民を一人でも多く増やして行かなければならないと痛切に感じました。

 

「こんなことをしていて、両国の市民には何にも良い事なんてない!」という事を、両国政府に分からせたいという思いがこみ上げてきます。

 

ようは、日韓両国の権力中枢がそれぞれ自らの政権維持のためにナショナリズムで国民をあおりたてている現状がいかにバカげているのかという事を、互いの国民同士が手を携えつなぎ合って、そのバカげた両政権に『NO!』を突きつける日が来る事を願っています。

 

https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019080500006.html


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2019年8月7日 『新聞読んで語ろう会』例会の報告(1)

 

 

 

例会の日、8月7日は朝からバタバタとしていて例会の資料作りが片手間になり、記事の選定とか低速プリンターでの異常なほどの時間を喰いながら、仕事の合間を使って出発時間ぎりぎりまで資料作りをしていました。

 

ほら、また電話が鳴ってる。

「もしもし。すみません。今日はこれから出かけますのでシャッター下ろしますー。明日は普通にオープンしてますので(ぺこぺこ)すみません(ぺこぺこ)よろしくお願いしますー」

(日本人は電話しながらぺこぺこしているのが「変な感じ」だとか「可笑しい」だとか、外国人には思われるようですが、ついついペコペコ・・・・)

 

あーほんとに今日はバタバタだー・・・・ッと食道のちょっと下ぐらいのところで声を出さずに叫びながら、やっとの思いで例会に向け出発。

 

車の流れが・・・・・やけにいい。

 

いつもより早く駐車場に到着できました。

 

思いのほか余裕が出来たとほっとしながら・・・あれ?

作った資料を全部忘れて来た。

あっ、どうしよう。

今から取りに戻れば完全に、遅刻どころではない大遅刻。

いつも言っているだろう?「新聞読んで語ろう会は手ぶらでの参加もOK!なんです」って

 

という事で「今日は、連絡係(Y)、完全手ぶら状態での参加となりました」

 

 

前段が長すぎる!!と言われそうですが、このように生身の参加でレコーダーも無く語り合いの様子は記憶のみとなるので、きっと長々とした報告にはなりませんので、その分だと思ってください。

 

 

参加された方から持ち込まれた記事が結構たくさん有りまして、その中から第1番目に選ばれた題材は『民主主義の死に方(レビツキー・ジブラット著)』という本から、《独裁者を見分ける4つの行動パターン》についての部分を要約してきた資料です。

 

また、吉田徹さんがこの本の内容にも言及しながら、今回の選挙結果(特に低投票率だったことなど)について、民主主義の衰退を懸念する内容の文章も添付されました。

 

こうした「民主主義の危機」的な状況に関しての語り合いが始まったのですが・・・・

 

言い忘れていたことが一つありました。

 

今回初めて参加された方(この記事に限り以下Aさんと記載します)がいたのですが、この民主主義に関する語り合いの中でたびたび口にされた言葉「私は民主主義の国ではない処から来ているので・・・・・・」で分かる通り、Aさんは外国籍で、でも、もう30年も札幌に住んでいるという事で、日本人にはない目線でのお話もたくさん聞かせて頂きました。

 

さて、民主主義の危機が来ているのかどうか、吉田徹さんの文章から見える具体的な事象を見ながら、不安を募らせながらの語り合いが続くのですが、さて連絡係(Y)としてはどうしても皆さんにお尋ねしたい気持ちが沸き上がりましての質問タイムです。

 

Question:「民主主義」という言葉を皆で使いながら語り合っていますが、その「民主主義」というものはいったいどういうものなのかを皆さん自分なりに考えを持っていると思うのですが、その自分なりに「民主主義とはこういうものだ」というのがどういうものなのかを聞かせて下さい。

 

Answer:・・・・・・・・・

 

これが意外と難しい質問でした。

 

「公平な選挙が出来る事」だとか、「町内会で物事の決定をする時、皆が納得賛成してくれるまで話し合いを続け、反対者がいる時は決定しないというやり方をしているが、これが民主主義ではないかと感じた」とか、

 

一人ひとりの思っている事をお話されたのですがどうも自信に満ち満ちたものではないのです。

 

あらためて感じた事は、「民主主義の事を実はよく分かっていなかったのではないか?」という事。

 

このあとの語り合いでは視点を変えての話の切り替え「これが民主主義だという答えがなかなかわからないのだけれど、そもそも民主主義国家と言える国はどこの国なのか?一番民主主義が出来ている国はどこ?」それが分かれば民主主義の具体的な表れ方が分かるのではないかという話です。

 

ここから、外国の事に話は移り、海外で仕事をしたり研修で少し長期間外国に滞在していた事のある参加者の方が、そうした外国で感じた「民主主義とそうでない体制の中での違い」だとか、それぞれその国の目指している事をどのようなやり方で(民主主義と限らず)実現しようとしているのかなど、感じた事を話してもらいました。

 

Aさんは、「自分は民主主義ではない国から来たので言えることはないのかも知れないけれど、日本人は本当に思っている事をなかなか話さないので、何を考えているのか分かり難い。政治の事とかの話は特にしない方が良いと思っているように見えるけれど、そういう話が自由に出来ないところに本当の民主主義なんてあるのかは分からないと思う」という話をされました。(グサリと言い当てられましたって感じです)

 

さて、ここまで読んでくださった方。

あなたの思っている「民主主義」ってどういうものですか?

 

 

連絡係(Y)が考える「民主主義」

 

民主主義であるためには、最低限(この最低限というレベルがとても高いハードルだとは思いますが)国民が民主主義を(言葉を知っているという以上に)ちゃんと理解している必要があると思います。

 

何故なら、民主主義を知らない人は「これが民主主義なのだ」と偉そうな人に言われれば、「はい、そうですか」と受け入れるしかなくなるからです。

 

日本人の多くは、日本は民主主義の国だと思って来たと思います。

しかし、それは見せかけだけかも知れない民主主義体制を保障した国であるというだけなのかも知れません。

勿論、「政治家性善説」「役人性善説」「裁判官性善説」が通用できるのであるなら、きっと国民は安心していていいのでしょう。

 

しかしそんな性善説など端からないに等しい人間がその体制を逆手に取って「民主的に決定したと言い張る事」に対して、無知な人間は従わざるを得なくなる、実は今の日本はそんな状況になっていないだろうか?という事に対しても、民主主義を知らない国民ではそんな疑問を解くカギさえないという事なのです。

 

日本に限定して言えば、憲法9条も同じことが言えるのかも知れません。

9条があるから、日本は二度と戦争しないと安心して、9条にお任せしていたようなところはなかったのか?という事です。

9条の意味をちゃんと理解して常にそれを護り抜くために国民側からの9条の価値や意味をちゃんと理解しないでいたために(国民の努力が足りなかったために)、解釈改憲という手法で(逆手に取られて)、多くの国民が反論できない事態が起き始めているのではないか?反論できないから「改憲に反対しない」せいぜい良くても「どちらとも言えない」程度の答えしか出せなくなる。

 

理想の憲法があっても、立派な民主主義の体制が出来ていても、国民がその意味を知って護る意識がなければ、ずる賢い奴らにあっという間に逆手に取られてしまう、だってヒットラーでさえ民主的に選ばれたというではないか?

 

あらためて思う事は、民主主義はきちんと子どものころから『教育』の中で教える事、子どものころから民主主義について『考えさせる』こと、その習慣をつけなければ、民主主義の国になることなど出来ないのではないかという事でした。

 

戦後のドイツではナチ時代の教訓から考えて、今はそのような教育にとても熱心だと聞いています。

 

というのが連絡係(Y)が、民主主義という言葉を聞いての「思いあたる事」です。

 

 

 

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2019年7月24日『新聞読んで語ろう会』例会の報告(3)

 


7月24日の例会、3番目に取り上げた題材は、

7月19日北海道新聞

『冷える日韓 道内観光に影

   ツアー予約急減、宿解約も』  という記事。

 

連絡係(Y)としては参加者から持ち込まれたこの記事の内容を紹介するにあたり、何はともあれ最初に『日韓関係の冷え込み』などという言葉を使わなければならない内容なわけですが、そもそもこの『日韓関係の冷え込み』がどのように演出されたものなのか、はたまたその演出の延長上で「退くに退かれぬチキンレース」が始まってしまったのか、グチャグチャな非論理的歴史認識で(両国の)一般市民が混乱させられている「何らかの力」が働いているらしいという思いの中での記事の紹介です。


 

この記事は

『日韓関係の冷え込み』により、韓国国民個人が自発的に日本製品の不買運動を始めた事。

これにより、道内に来る韓国人の観光旅行者からのキャンセルも出始めて、道内観光業に影響が出る恐れがあるということ。

 

航空会社では、秋以降の予約が鈍化しているところも出始めていて、直行便を維持できるかに不安を持っているという事。

 

更に、韓国人の不買運動に『現在参加している』は54.6%、『今後参加する』が66.0%と、エスカレートしそうなこと。


現実にも、道内と韓国との間で結ばれている姉妹都市提携によって行われて来たイベントや式典、更にスポーツ大会なども次々と取りやめになっている、などと言う記事です。

 

 

記事提出をされた方は、国民同士や姉妹都市の間でいさかいが起きているわけではないようなので、それは一安心だけれど、何かに付けて『観光業績をどんどん伸ばして行く』と言っている安倍首相は、こういう観光業がダメージを受ける事をどう考えているのだろうかという気持ちでの提出です。

 

語り合いでは、ここまでこじらせる方向を選んだのは、誰なのか?経産省なのか外務省なのか?という意見。

 

いやそれは、官邸であり安倍首相が決めてやっている事だという意見。

 

経団連も、大企業でさえ経済的なダメージを受けやすい状況なのだから、首相に何か不満のような事は言わないのだろうか?という意見。

 

確か、経団連の元会長だったか今の会長だったかが、「あまりこじらせないでほしい、ほどほどにしておいてほしい」というような事を言っていたような気がする。

確か言っていたけれど、強い口調ではなかったと思う。

 

経団連も、安倍さんに忖度しているんじゃないかなという意見。

 

等々、ともかくこじれる日韓関係に油を注ぐような対応は「あまり宜しくないのではないか」という意見が次々と出ました。

 

 

その後、そもそもの話の発端となる事かも知れない『元徴用工の人々が起こした個人賠償請求』の話題に移りました。


韓国の裁判所の判断(民事賠償請求を認めた判断)について、またその判決を出した裁判所に対する韓国政府の(民事裁判には国は関与しないという)受け止め方対応の仕方について、またそうした韓国のあり方に抗議する日本の国としてのあり方などについても、語り合いました。

 

更に、日本が韓国に対し行った、「3品目の輸出手続きを厳格化」するとか、韓国をホワイト国から除外する閣議決定などが予想される(例会の時はまだ決定していなかった)などについては、WTOに提訴して(韓国が提訴するという事になるのだろうけれど)白黒はっきりさせて、それから先どうするか考えた方が良いのかも知れない、という意見。

 

日韓の「こじれ増長」の原因に、日本の下手な外交や、韓国に屈した形にならないようにしたいという日本の(ナショナリズム的)思惑が意地のようになっていて、大人じゃない対応があるのではないか?などという意見が出たところで時間終了となりました。


連絡係(Y)として一つだけ気になるのは、日本の世論調査で「日本の、韓国に対する対応や処置」について『良い』が50%を大きく超えて多いという事で、日本人の側に、韓国を敵対視するような感情が高まって行くのではないかという懸念を持っています。


日本と韓国は昔から別の国で(一時期併合という形があった、そこに根深い問題があるとしても)民族も違っているのでルワンダで起きたツチ族フツ族のような国内的な争いというのとは違いますが、もともとは大きな争いがなかった2つの民族の間にいやらしい悪魔のささやきのような力が加わる事で、あっという間に内乱、虐殺へと進んでいったように、今は国民同士がいがみ合ってはいない日韓でも、突然国民同士の間で険悪な方向に向かわないとは限らないという思いも過ぎります。


国民同士が仲良くするという事が、よほどの意識をもって、よほどの強い意志で結ばれていないと、「悪魔のささやきは気づかないうちに私たちの耳元に近づいてくる」という、そういう恐れを共有し、悪魔への警戒心を互いの国民同士の語り合いで確認し合っておかなければと思う次第です。

 

次回の例会は、8月7日(水)18:30より行います。


 

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2019年7月24日『新聞読んで語ろう会』例会の報告(2)

 

7月24日の例会、2番目に取り上げた記事は、7月19日朝日新聞のメディアタイムズ

『参院選 テレビ低調 民法報道4割減/NHK3時間減

   低視聴率嫌い?0分の情報番組も』  という記事。

 

参院選公示日には、主要メディア各局が党首討論などの報道番組をしたけれど、翌日にはどの局も選挙関連は報道していないとか、全体的に選挙関連の報道が少なくなっている(前回比で3割減、民放だけで言えば4割減)という事で、数字としてはっきり出ている。

選挙に関する報道は、多方面からのクレームに対応するため、各候補の発言時間(秒数)を管理するなどの手間がかかる割に、視聴率が上がらない、手間とリスクが割に合わないという判断で消極的になっているのではないかという。

このように視聴率が低いからという理由で説明される場合が多いけれど、「羽鳥慎一モーニングショー」で連日行った選挙特集では、他の局より視聴率が良かったという事も出ている記事です。

 

この記事を皮切りに、今回の参院選の結果への各人の思いも噴出するなど、話題が選挙がらみで迷走する場面まであり、かなり多様な語り合いとなりました。そのすべてを掲載できなかったことを先にお断りしておきます。

 

この記事を提出した参加者は、「選挙が始まると一般市民は公職選挙法という分かり難いシバリのために、自分が押したい候補者の名前も政策もなかなか声に出せなくなってしまう。

市民個人々々が具体的に選挙運動がし難い状況の中では、メディアがしっかり各候補者を取材して報道してくれなければ、一般市民はだれに投票してよいかの判断ができない。

低投票率の原因には、こうしたメディアの姿勢が問われなければならないのではないだろうかという気持ちでの提出でした。

 

さらに、『本来メディアとは現政権(安倍政権)が今まで行って来た事の検証(何が実現出来たのか、何が実現出来ていないのか)をこういう時期にこそ明らかにする義務があるのに、「公平性」という事ばかりを気にしすぎてメディアとしての役目を放棄してしまう(国民の知る権利に応えていない)事が大きな問題だ』という、記事の最後の部分を強調されました。

 

ここでもう一つの記事、毎日新聞の7月24日の『18,19歳 投票率31% 前回を15ポイント下回る』という記事もあわせた語り合いで、メディアの選挙離れが投票率の低下、特に若者の投票率にもつながっているのではないかという意見が出ました。

 

選挙権が18歳まで年齢が下げられて初めての前回参院選では、マスコミが大騒ぎで若者にアプローチして取材などした結果、必然的に若者の選挙への関心は高まっていたけれど、マスコミが話題性を見出せなくなったのか、やる気がないのか、『若者の選挙』を題材にしなくなった今回の投票率は、本来の若者の選挙関心度合が出たという事かも知れません。

 

その意味でも、報道がもっと選挙を取り上げる事によって投票率を具体的に上げるための番組や記事で報道すべきなのに、その責任が果たされていないという意見に対し、選挙が始まる頃に中野晃一さんのツイッターで見たという事で紹介されたのは、『「投票率が上がるような報道は差し控えなさい」というようなお達し?要請?圧力?が然るべきところから報道機関に回って来ているというような事が出ていたけれど、今回の朝日新聞の「参院選テレビ低調」という記事を見て、中野晃一さんのツイートはやっぱり本当なんだなーと思った』という意見も出ました。

 

《中野晃一さんについて:1970年東京都生まれ。1993年、東京大学文学部哲学科卒業。1995年、オックスフォード大学哲学・政治学科卒業。2003年、プリンストン大学政治学研究科博士課程修了、博士号(政治学)を取得。東大非常勤講師、上智大学比較文化学部講師を経て、2004年、上智大学比較文化学部助教授。2006年、上智大学国際教養学部助教授。2007年、上智大学学部教授。》 最新の市民活動を動画で可視化 市民メディア放送局のHPより

 

 

中野晃一さんが言うような事がもしあるとすれば、明らかに憲法違反であり、法律違反ではないかという意見。

 

そういう力が働いているのかどうかは分からないけれど、選挙に関わらず、普段から国民に対して政治や社会問題に関心を持たせないような番組ばかりが多くなってしまっていると感じるという意見。

 

これについて同意する意見があり、骨太のしっかりした報道番組がなくなっているという事です。

 

選挙が始まったら「スキャンダル放送」ばかりしているという意見。

 

 

こうした報道に対する圧力が本当にあるのかどうかは、市民レベルではなかなかはっきり知る事は出来ない、むしろそういう事をやっていても絶対に一般市民にはわからない次元と言うか、闇の中でと言うか、そういうところで動いている話だという事になるのかも知れません。

 

しかしそれでも、現実に何が行われているのかを「思いあたる」ものとして市民に見えるものはけっこうあるとも言えます。

 

例えば投票率が下がれば、組織票が強い自公が有利になる事ははっきりしているのだから、組織票の強い今の政権与党が報道に対して何らかの意見を言う事があるとしても特別不思議ではない。

 

現実に総務大臣などが「報道を規制する必要性について言及するような発言」は、国民の目にも何度もさらされている。

 

テレビ業界の各社トップと安倍首相が、頻繁に会食をしているという事実からはこうした圧力が伝わっていく要素も方法論も十分以上に備わっている。

 

世界の報道機関の中での、日本の「報道の自由度ランキング」の異常な低さは、何を物語っているのか?

 

このような事が直ちに、官邸がマスコミに圧力をかけているという証拠にはならないけれど、国民目線で考えた時に、権力側が行っているかも知れない事に対して、国民が『疑わしきは罰せず』などと言っていてよいのかどうか、国民が自分の力で判断しなければならない事の一つとなるでしょう。

そしてその為のいわゆる『メディアリテラシー』の力を備えて行く必要性もますます増えてきている(『新聞読んで語ろう会』のような市民の意見情報交換も市民の中に増えてゆく必要性がある)と思いました。

 

語り合いでは、その後『電通』などの大手広告代理店が市民心理を分析して、選挙を有利に戦って行くためのノウハウやデーターを持っていて、そうした力を資金力に勝る与党側は上手に活用している、そういう商売で言えばマーケッティングのような事を最大限選挙のために用いられている中での、市民のやり方や方法論が、おそらくいかに幼稚なものとなってしまうのかを考えると、選挙で戦い勝つという事が市民には本当に大変なことだと痛感されるところです。

 

その後、真剣に考えている人ほど誰に入れて良いか迷ってしまって投票に行けなかったという人も多かったようだという意見。

 

そしてこの、誰にしたらよいのか迷うという話から、今回の北海道の参院選野党候補者が3人立った事に話が進み、何故3名の立候補者が出るという事に、市民の側からの要求が野党共闘の枠組みの政党に届かなかったのかという歯がゆさなどの意見も出ました。

 

あちこちで言われ続けて来た、野党が3名立候補した時点で野党は負ける(2名の当選は出来ない)という事は分かっていた。北海道の場合はその時点で盛り上がらない選挙になったのは間違いない。

という意見が、例会でも当然出てきましたし、野党共闘が上手く機能しなかった事への不満も出ました。

 

 

さて、例会での話ではありませんが、連絡係(Y)がどこかで耳にした話ですが、『驚くべき事に、今のこの日本で社会生活をしながら「選挙があった事を知らなかった」という人がいて、どうやったら選挙があるということを知らないまま過ごせるのか?どうやったらそんな風に生活できるのだろうか』と嘆いていた人もいました。

 

 

まとめとしては、投票率が選挙のたびに下がっている事が大問題なので、投票率をどうやって上げて行くのかを真剣に考えて行かなければならないという事です。

 

一方メディアに圧力をかけてまで投票率を上げないようにしようという(巨大な)力があるとすれば、まるで正反対の力比べに挑む覚悟をしなければならないという事でしょう。

 

 

『新聞読んで語ろう会』2019年7月24日の例会報告(1)

 


7月24の例会では、3つのテーマでの語り合いを行いました。

 

今回はその中から最初に取り上げた記事についてお伝えします。

 

この記事は、前回からの持ち越し記事。

「マガジン9」というサイト(https://maga9.jp/)で6月12日に掲載された

『つみびと』から、大阪二児置き去り死事件を思う。の巻(https://maga9.jp/190612-3/

という雨宮処凛さんの記事。

『つみびと』というのは今年出版された山田詠美著の小説で「2010年の大阪二児置き去り死事件」をモチーフに書かれたもの。

 

最近ニュースになる事が多い、特に母親が加害者となる(あるいは加害者の一人となる)自分の幼い子どもに対する「虐待事件」や「虐待死亡事件」について、『つみびと』という小説を読んでの雨宮処凛さんの思いを綴った記事です。

 

前回の例会で、持ち越しとなった時に「この記事での語り合いをやりたかった」という参加者がいましたので、今回最初にこの記事を取り上げる事にしました。

 

この記事を「テーマにしたかった」という参加者のその理由は、日ごろまわりで一般的によく言われている「子どもは親の背中を見ながら育つのだから、親がちゃんとしていなければダメだ」などという言葉を聞くけれど、このような虐待をする親に対しての自分の考え方として、子育てをちゃんとやりたくても出来ない環境や能力の無い親もいるのだから一概にそう言って母親だけに責任を押し付けても、虐待は防げないのではないかと思っていたところ、この記事を目にして共感できたので他の参加者の考えを聞かせてほしいというものでした。

 

この記事を前回持ち込んだのは、わたくし連絡係(Y)でしたので、その理由を述べさせていただきました。

この記事では、子供を置き去りにして死なせてしまった母親の罪は当然責任を負わなければならないものとしても、そういう苦境に追い込んでいった周りの人間が(あえて言うなら身内や社会が)なにも責任を問われていない事への違和感、不公平感というものを強く打ち出しています。

 

この記事を読んで気付かされることは現代の社会は和を持つとか、絆を持って助け合うとかを本気では考えず、むしろどんどんと個々人に分断していく社会になっていて、そういう状況の中で責任を全面に押し付けられた母親が行き場を失っていくような《この日本社会(分断社会)の構造的な必然性》が、こうした事件として表れてきているのではないか?という思いでの提出でした。

 

更に今回持ち込んだもう一つの記事も一緒に題材としました。

 

川崎市の児童などを含んだ殺傷事件を起こした「引きこもりだった」と言われる男や、自分の息子が「引きこもり」で強暴性がある事を理由に、川崎事件のような事が起こる前にと、自分の息子を殺害してしまった元農林水産事務次官の事件を受け、7月3日のどうしん電子版に掲載された「引きこもり どう向き合う」という記事で、人々が徐々に分断されて来たそのひずみがこうした事件に結び付いているのではないかという事で紹介しました。

 

また、記事の持ち込みはしませんでしたが、直前に起きた事件「京都アニメーション放火殺傷事件」で自らも重傷を負って逮捕されている男が、(ふくらませた憶測はともかくとして)その男の実態が未だにほとんど誰もよく分かっていない。

それほど彼は「ひとり孤立した存在」であったのではないかと思い、この事件にも触れさせていただきました。

そうした孤立する人々の増加が進んでいるとなると、現代のこの社会は「まあまあ正常な社会」とは程遠くなって来ているような危惧を感じているところです。

 

 

 

語り合いでは、まず「社会の中に個人個人を分断するような力が働いているとした場合、そうした力が働く方が都合がいいというような何かがあるのだろうか?」という疑問。

 

これに対し「極端な部分で言えば、労働組合のような場合を想定すれば、組織内の結束は強いよりはあまり強くない方が良い、組織内の人のつながりが弱く構成する人数が少ない方が、会社側にとっては都合がいいと考える経営者側の判断は有り得る」という話。

(企業側にとって都合よく社員が結束する分には良しとしながらも、企業にとって厳しい方向で社員が結束されることは極端に嫌う傾向が有るのでしょう。)

 

「昔の農家(一次産業)の場合は、家族皆が同じサイクルで生活していたが、家族がそれぞれ違う職場に通うような現代では、家族の中でさえつながりも薄くなる、そういう社会になってしまったのではないか。

企業は労働力だけを目当てに雇用するから、会社内でも社員同士は、仕事を行う上での(チームとしての)つながりだけが要求され、個々の人間同士のとしてのつながりが持ちにくく、分断された状態になりやすい。」という意見。

 

「日本の社会では、例えば身内に障がい者がいると、それを隠そうとするようなところが未だにあったり、記事に出てくるような離婚した若い母親だけに育児の責任を負わせ、周りの人間(離婚した夫やその親など)は、明らかに能力的に無理があるその母親に育児を押し付け、自分たちはもう無関係だ、そうした事象そのものを排除してしまう、なかった事にしてしまうところがあるような気がする。

人権というものがよく分かっていないとか民主主義がよく分かっていないような事が個々の生活、生き方の中に出てきているようで、何かいい方法、きっと教育しかないのだろうけれど、子どもの頃からそういう教育が出来なければいけないのではないだろうか。」という意見。

 

「今度の選挙で、《れいわ新選組》が訴えていたけれども、『10代から30代までの若い人の死因のトップが自殺』という事で、実際今の世の中が生きずらい世の中になっているという事がこういう数字にも表れて来ていると思うので、そういう生きずらい世の中を何とかして行かなければ。」という意見。

 

「しかし、現実には非正規社員がどんどん増えて、生活するのもやっとのような給料で長時間働くとか、変則的な時間での仕事が多いとかで、自分自身も家庭の中でも余裕がどんどんなくなり追い詰められている等、そういう生きずらさから自殺する人も増えているのではないか」

 

などの意見や疑問を出しながらの、語り合いを行いました。

 

話は、障がい等で「いわゆる健常者」のようには働けないような人が「人として生きる」事が認められているのかどうか?という事になりました。

 

引きこもりでもそういう話が出るように、生産性がないとか低いとかが人間の価値の尺度になっていいのか?

 

そもそも人間に、価値の違いが有るという考え方があってもいいのか?

という疑問の声。

 

例えばそのような障がいのある人が仕事をする場としての「就労継続支援A型」と「就労継続支援B型」と分類される場所とか、以前のいわゆる共同作業所の事が紹介され、そうした作業所でどのくらいの給料が支給されるのかとかが話題となりました。

 

それにしても、国や自治体自体が定められた割合での障がい者の雇用をちゃんと実施しておらず、まして実施率のごまかしの報告までするという事に、参加者も言葉がなくなってしまいました。(国や自治体自体が、障がいのある人々を軽んじている表れだという意見が出ました)

 

さて、ちょうど3年前に相模原障がい者施設『津久井やまゆり園』での襲撃殺傷事件があり、犯行を行った青年の「障がい者はいない方が世の中のために良い」という趣旨の発言をしているというのは、極端な優生思想に侵された考え方でもあるし、こうした考え方を育む社会になってしまっている事を検証する必要があるのではないかという思いを添えたいと思います。

 

フランクルは、

《少し古い資料ですがhttps://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/14_frankl/index.html)》

「すべての人生には《意味》がある」と断言し、何かの為であるとか能力の高さで価値判断をしない、生きていることそのものに《意味》がある、その《意味》に気付いていないだけだという言葉を残しています。

 

皆が、自分の生きている(価値ではなく)意味を見出せる、そういう日本になってほしいですね。

 

次回は、このあと、参院選の結果が出た後の記事を題材に語り合った内容について、報告します。

 

 

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番外編 投票に行こう!!

 


選挙に行って投票しよう

 

 

ずーっと好景気が続いているって、なんか聞くんだけど

本当に景気、いい?

そんなに長い期間の中で、

一度でも「景気いいなあ」って思ったことある?

 

私の周りで『景気いい』なんて人、ひとりもいないよ

 

騙されてる気がするんだけど・・・・

 

就職が出来たって?

求人倍率いいんだって?

 

それは景気が良いからじゃない

 

大量の労働者(爺婆が)が定年で辞めた、

その数が半端じゃないから労働者不足になっただけ

インチキノミクスをやろうが何しようが、

労働者不足の時代になっただけの事

 

労働不足になれば人件費が上がって来る

労働という商品を奪い合うからね

 

ところが商品が多くなれば値段は下がる

だから労働商品を外国から

輸入するということまで始めてる

 


本当に景気がいいなら、労働時間が短くても、

それでもみんながイイ給料もらえるはずじゃない?

 

そんなにいい条件の人は『景気いい』って言うはずじゃない?

 

なのに、まわりで『景気いい』なんて言う人、誰もいない

 

みんな死にそうなぐらい働いてる、

ほんとに死んじゃう人までいる、

なのに実質賃金が下がってるって、

これって本当に「景気いい」っていう事なの?

 

騙されないで、

 

選挙に行って変えなくちゃ、

この生活、この生き方、この生かされ方を

 


連絡係

 

 

7月10日『新聞読んで語ろう会』例会報告(2)

 

7月10日に行いました例会では、残り時間が若干少なくなった後半、次の記事を題材にしました。

 

2019年7月8日 北海道新聞 朝刊 文化面「天はあおあお 野はひろびろ」というコラムのようなコーナーの記事。

 

見出しは『新法とウポポイ 清算されぬ民族の歴史』です。

 

当会ではたびたびアイヌ民族に関する記事を取り上げ、少しづつ認識を深めて行く段階にあると思っています。

 

この記事は、白老(シラオイ)に建造中の『民族共生象徴空間』と意味付けされた巨大施設『ウポポイ』と、最近成立したいわゆるアイヌ民族に関する新法の内容を切り口に、アイヌ民族の先住民族としての権利について、筆者池澤夏樹氏の考えを綴ったものです。

 

 

参加者の中には、このアイヌ民族に関してかなり深く関わっている、あるいは関わろうとしている人から、この会で持ち込まれた記事を題材に語り合う事で初めてアイヌ民族に関する事に触れたような人までいろいろといます。

 

今回の語り合いの中で、このアイヌ民族に関する記事を何故たびたび取り上げるのかという意味を象徴するようなお話を聴く事が出来ました。

 

それは、その(アイヌ民族の諸問題に)深く関わって来られた方のお話となりますが、北海道でまだアイヌ民族の事が人権問題としてほとんど一般市民に認識されていなかった頃、人権問題に取り組もうという事で、内地(本州)の方で大きな問題として表面化していた「部落解放問題」を勉強するために解放同盟の幹部の方を呼んで講演してもらった時に、「北海道にはアイヌ民族の大きな問題があるのだから、部落解放も良いけれど、それ(アイヌ問題)をちゃんとやらないとだめだ」と強く言われた事を今でも鮮明に覚えている、というお話です。

 

まさにアイヌ民族に関わる問題というのは、少なくとも北海道に住む者として(沖縄の問題でも言えることなのだけれど、本当は日本全体の問題なのですが)常に注意していかなければならない問題だという意識を持ち続けるため、私たちのような市民勉強会でも時々取り上げて行くことが大事なことだと再確認させられる言葉でした。

 

今回は、わたくし連絡係の時間配分のミスから、少ない残り時間を使っての語り合いとなってしまいました。

 

この記事の中ではいくつかの要点があり、そこにしぼったお話となりました。

 

一つは、先住民族の権利回復とは何か?

もう一つは、来年オープンするであろう『ウポポイ』とは何なのか?

 

記事では、今回新たに制定されたアイヌ民族に関する新法(略称「アイヌ施策推進法」、正確には「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」)において、「アイヌは先住民としての地位を得た」と書く一方で、それを目に見える形として『ウポポイ』という箱モノを作ったかに見えるにもかかわらず、この『ウポポイ』が語られる時にはいつも観光という次元、観光施設としての重要性(年間来館者数の見込みなどばかりを問題視する)が強調される施設になっているのではないのか?それは、いわゆる「観光アイヌ」の「延長上にある疑い」があると懸念しています。

 

この『観光アイヌ』という言葉は、アイヌ民族が、和人が行う観光業の見世物のように扱われた時代に、そうした興業によって和人から利用されながらも一応の生活水準を得ることが出来た一部のアイヌの人々の事を、そうではなかったアイヌの人々からも和人たちからも揶揄される言葉として使われていたようです。

 

そういう(アイヌ民族の人々が)見世物のような扱いをされることを「望まざるを得ない存在、立場に置かれていた」とすれば、再び「和人に『利用される存在』として尊重される」ような流れになってしまう事が、確かに懸念されるのです。

 

しかし、今時は『インバウンド』などと言って特に海外からの観光客をあてにするような日本の国の経済体系の中では、観光は決して卑下するようなものではないし、多くの日本人の生業ともなっているのだから、アイヌ民族が観光業を生業としたからといって特別な事でも何でもないだろうとも思うのです。

 

ただし、それが「和人にとって利用価値のある請負」としての生業ではなく、自分たちが主体でやれる環境さえあればという話で、この北海道でアイヌ民族が完全に主体的にそういう事を決め、行う権利が先住民族としてあるのだという自覚のもとに行うのであれば、「観光アイヌ」などと揶揄されるものではないと思います。

 

そして、本来アイヌ新法「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」はそういう自決の権利を強く保障しなければならなかったのに、今回はほとんどそこには触れられていない法律だった、だから「観光アイヌ」の延長上になる疑いという表現が出てきてしまう結果となったのではないかとも思いました。

 

今回は記事に沿って、『観光アイヌ』という言葉からの思考を語り合いましたが、「アイヌの文化や伝統の尊重」という事もよく耳にします。その言葉にはどういう意味があるのか?という事も考えて行かなければならないと思います。

 

語り合いでは、こうした問題提起の記事を題材に、世界の先住民族に対する権利回復の方向性と、日本の方向性の違い、そうした取り組みをしている世界の流れから見た日本の施策が、どのように見られているのかなどを語り合いました。

 

今特に大きな問題として、全国の大学など(主に北大)に保管(?)されているアイヌ民族の遺骨や副葬品(学者たちが、アイヌの墓を掘り返して得たもの)が、今少しづつ返還される方向にはあるものの、多くの遺骨は返還先が特定できない、引き受け手が見つからない遺骨が(持ち帰った遺骨などを物置のような部屋の棚に雑然と収納していたため、出土地が分からないものが多いと聞く)存在している中で、その遺骨を共同納骨堂のような慰霊施設に収容し鄭重に合同慰霊するという、そういう施設を『ウポポイ』の一角に造るとされているのですが、その施設の目的が「鄭重な慰霊」を目的としているように表向きでは言いながら、学者が好きな時にその骨を引っ張り出して研究材料にしても良いという話で、そういう事実上の「研究材料の収納施設」とするような事をどう考えたらよいのか???

 

何百年も前の集落跡(遺跡)を発見し、墓地らしい場所から骨や副葬品を発見するという話と、今現在も存在する人々の先祖の墓を荒らし(自分の実家の墓が荒らされたという事を考えれば分かるだろうと言いたいが)、骨を研究材料として持ち帰るという学者のエゴ、「研究のため」という理由が絶対的なお墨付きであると勘違いしているのかも知れないけれど、遺骨返還問題というのはそういう学者バカ的発想の後遺症だと感じます。

 

その学者バカ的発想を、『ウポポイ』の合同慰霊施設と言われる遺骨収納建屋で、これからもまた続けようとしているのではないかと疑うのです。

 

アイヌ民族に関わる人権問題は、日本全体の人権に関わる試金石のようなもの。勿論沖縄琉球民族も、在日の外国人の人権問題も、マイノリティーが受けている人権問題なども、すべて日本が本当の意味で人権尊重国家になるのかならないかを世界中から注視されている事だと自覚しなければならないと思います。


ウポポイは、「民族共生の象徴空間」という、とってもカッコイイ意味づけをしていますが、どうでしょうか?


私の個人的な印象ですが、

ウポポイは明治から始まった「民族同化政策の象徴空間」

ウポポイは、「民族同化の総仕上げ」ではないかと感じています。

 


とても長くなってしまいましたがとりあえず、今回の記事はここまでとします。

 

 

連絡係

 

2019年7月10日の例会報告(1)

2019年7月10日に『新聞読んで語ろう会』例会を行いました。

 

今日は、その例会から最初に取り上げた記事での語り合いを報告します。

 

時節柄と言いますか?今回最初の題材は、7月21日に投票が行われる参議院選挙に立候補した、いわゆる『タレント候補』に焦点を当てた北海道新聞7月9日の記事です。

 

 

えーと、ちょっとその前に(本文に入る前に)選挙がらみという事で、当日の語り合いでも出て来た疑問や問題点に上手に答えているような番組がYouTubeから発信されましたので、先に紹介しておきます。

 

一つ目は、

「のりこえねっとTube190710 NO HATE TV (1:37:45)(番組は1:40頃から始まります)

http://www.youtube.com/watch?v=SeONrj2psYI

前半は今回参院選に反ヘイトを掲げている候補者の紹介をしています。北海道の分は一番最初なので10分ちょっと過ぎで終わります。その後他の地域の候補者の紹介になりますが、その中での紹介対談でも重要なお話がいくつも出てきますので、時間があればずうっと見て頂きたいです。


後半の部分で、地方自治体の条例に関する話が出てきますが、今回の私たちの例会でも、立法府としての国会の在り方に異議ありと言った参加者に、地方自治での条例を使って「国がやらないことも地方でやれるケースはある」のではないかという話も出ました。

 

 

もう一つの番組は、712日の、デモクラシータイムス『横田一 現場直撃』(39:21

https://www.youtube.com/watch?v=ZuMR625PjhU&feature=em-uploademail

山口イージスアショワ、参議院選激戦区レポート、夕張前市長の『森・加計問題、地方版?』等々


ついでにもう一つ選挙がらみの番組「安倍政治とマスメディア - ウィークエンドニュース 2019.7.12」(1:02:24)

https://www.youtube.com/watch?v=IJMUBUnpzYI

以上番組紹介

 

 

さて、ここから本文です。


主な著名人タレント候補が自民党から2人、立憲民主から5人、国民民主から3名、維新から2人、という表と解説記事で、知名度で当選者の数稼ぎをしていた時から比べ、当選後の知識の無さが暴露とか、問題を起こす議員もいたりなどの負の部分との兼ね合いで、タレント頼みによる議席増加というやり方が見直されて来ているようだという内容です。

 

この記事を持ち込んだ参加者は、こうした著名人『タレント候補者』をどのように思うかを皆に聞きたいという気持ちでの持ち込みでした。

 

知名度が普通じゃないくらい高い人が立候補するのは不公平ではないかという意見。(この意見の奥には、政治家としての能力も無いのに知名度が高いというだけで議席に結び付けるような擁立をするのは、真面目に政治を考えている地味なタイプの政治家等にとっては初めから大きなハンデになっているのではないかという理不尽な気分というものが有るような気がしました)

 

知名度が高い人の出馬が不公平だという意見に対して、親や親戚の「ジバン」を引き継いで「政治にはほとんど素人のような人」が当選して「これから一生懸命勉強します」などと言って万歳している世襲議員(政治理念をちゃんと持ってから立候補してよと思う)も多いようなのに、あまり新聞で取り上げられないのはもっと不公平じゃないのかという意見。

 

国によっては、世襲の場合「親と同じ地区からの出馬は禁止」しているところもあるという話も聞くけれど、それに比べて日本の選挙制度はまだまだ開発途上国ではないのかという意見。

 

語り合いが始まった時点では、やはり著名な『タレント候補者』を擁立する事への嫌悪感や、ホイホイと立候補するタレントへの不信感のような話が比較的多く出されていました。

 

ただ語り合いが進む中で、著名であるという理由だけで不公平と言えるものではないのではないか?

どんな属性の人でも立候補する自由がある国だという再確認はしなければいけないのではないか?

等々から、結局著名人という括りで立候補者を区分けする意味(新聞で取り上げる意味)はあまりないのではないか、むしろ世襲の方が問題は大きいような気がするけれど、基本はどんな人が立候補しようが、その立候補者がどれだけ本気で政治に向かい、国民のために何をするつもりでいるのかという事を、見極めなければいけないという事になります。

 

今回道新が表に載せた中で、「漫才師の「おしどりマコ」って知らないんだけど」という話から、彼女が北海道に来て(公演ではなく)講演したのを聞きに行った人が、取材や調査に基づいたすごくちゃんと考えを持った人だという話が出ました。漫才師という肩書では推し量ることが出来ないという意見です。

 

その後、かつてのタレント出身政治家の話になり、最初の議員は自民党のNHKアナウンサー宮田輝氏だったんじゃなかったか?(後で調べると今時では全然知らない芸能人が1946年に議員になっていました)から始まり、扇千景さん、引退表明したアントニオ猪木さん、現役山本太郎さんや、つい最近国会での田舎芝居のような演説で皆がびっくりした三原じゅん子さん等々。


時代は遡って漫才師コロンビア・トップさん、彼が国会議員で経験して知った「国会の笑えるありさまをネタに」風刺を効かせた漫才でそれを暴露したことでは、彼がタレント議員だったとしても良かったと思うと、さっきの「タレント議員どう思う?」の延長戦のような意見まで、いろんな意見が飛び交いました。

 

7月10日の活動報告、いったんここで閉めます。

 

例会で後半に取り上げた「新法とウポポイ」という記事での語り合いは、次の記事で紹介する予定です。


最後に一言、二言


選挙に行って「投票しましょう」。

投票率が下がるという事は、民主主義ではない国になるという事。

民主主義ではない世の中は「とーってもこわーいんだよ」


日々の生活に追われ、仕事に追われ、くたくたになってる人が、「選挙なんかどうでもいい」と思う気持ちはわかる気がする。

でも、そういう生き方、生かされ方からぬけ出せるように頑張ってくれる候補者を探してみよう。

そういう候補者は探せば一人ぐらいはいるんだから。



 連絡係





 

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連絡係  

Author:連絡係  
『新聞読んで語ろう会』は新聞、雑誌、ネット記事、書籍など、気になるものを持ち寄り、市民目線で語り合う会です。

普通の市民が、生活のこと、政治のこと、社会のことを、あまり生真面目になり過ぎずに楽しく語り合いながら勉強?しています。

このブログを通して、会で見たこと聞いたこと感じたことなどを、連絡係の視点で皆さんにお伝えしようと思います。

連絡先: kataroukai123@yahoo.co.jp

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