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2020年9月16日『新聞読んで語ろう会』例会の報告

 

 

9月16日(水)例会を行いました。

定員40名の部屋に16席を用意した部屋で、参加者は12名。

窓やドアを開放しての開催でした。

 

最初に取り上げた記事は、前回からの持ち越し記事で、9月1日の北海道新聞から

 

《敵基地攻撃保有へ方向性 首相、在任中に…》

 

 

 

9月2日北海道新聞『水曜討論』から、敵基地攻撃能力に関する2人の方の意見が載った記事

 

《着手の判断 極めて困難》伊藤俊幸氏

《政治・外交努力 重視を》植村秀樹氏

 

この3記事を題材にしました。

 

  は安倍首相が辞任表明後残りの任期中(時期総理大臣が決まるまで)に、敵基地攻撃が出来るための道筋を付けたいという表明をしたという記事。

 

  は国際法で禁じられた予防攻撃にならないようにしながら、自衛を理由に敵がミサイル発射前段階で敵基地を攻撃するというのはひじょうに難しい判断が必要になる。更に実戦段階になった状況下で敵国に対して抑止力の効果が出せるような敵基地攻撃を行う構想も現実的には難しいだろうという記事。

 

  は憲法9条の趣旨を逸脱する敵基地攻撃論への懸念と、実戦攻撃での問題点(反撃をさせない事の困難さ)、日本が戦争をする(戦争に巻き込まれる)状況とはどういうものかなどの見解を述べた記事。

 

この3記事提出の意図は、安倍晋三氏が辞任表明した後にも新政権に敵基地攻撃能力の保持というバイアスをかけようとしている可能性の再確認。

そしてこれ自体は現憲法に違反しているという事を再確認したいというものです。

 

更に別の参加者が前回持ち込んだもので上記の敵基地攻撃関連に類似する記事、9月2日の北海道新聞、池内了氏の投稿、

 

        《軍拡競争にはまり込む日本 対話こそが真の抑止力》

 

この記事の内容は、安倍政権が2014年に集団的自衛権の行使容認に続いて敵基地攻撃という段階に進む提案を行った事について、軍備増強(果てしない軍拡競争に踏み込んでゆく事)で戦争抑止につながるという考えは間違いだと指摘し、非武装・対話路線こそが現実的な戦争抑止方法であり、日本国憲法の平和主義を貫徹する努力を再確認すべきだという記事です。

 

これを持ち込まれた人の意図は世界中が軍拡競争に向かう傾向にあるような気がするが、本当にこれで良いのかという事を考えている記事だと思い持ち込んだという事です。

 

ここから前回から持ち越し①~④の記事をまとめての語り合いとなります。

 

記事④の提出者が、相手国の軍事力に対抗して自国の軍事力を高めようという考え方が世界で一般的であるのに対し、9条のような非武装によって国家間の関係を(軍事に頼らないで)築こうという考え方をする国や人々はまだまだ少ないと思うという意見に対し、少なくとも戦後の日本の多くの国民は非武装による安全保障を真剣に考えていたように思うがこれは例外的だったと言えるという事なのですねという確認の意見が出ました。

 

しかし、日本が非武装の憲法を掲げ経済復興を成し遂げたとみられる時代には、世界の少なからぬ国々から、その方向性(二度と戦争はしない)を支持されていたと記憶するけれど、小泉政権のころから具体的に戦争に参加する方向に向かい始め安倍政権下でさらに1歩も2歩も踏み込み、期を一に世界中の主要国の中でも右派思想が台頭し始めたのが、何か変な時代になって来ているなと思うという意見。

 

こうした中でグローバリズムなど、世界が交流する場がどんどん広がったという事は(世界の安全保障上では)良かったのではないだろうか。

例えば多くの人々が旅行などで世界中に行けるようになったのは良い事だと思うのだけれど、一方でナショナリズムなどが強くなって軍事力を強化するというのはそういうグローバリズムに相反する動きだと思うし、その結果軍事的にあるいはナショナリズム的に対立する国には行く事も出来ないようになってしまっていると思う。

北海道で言えば北方領土は目に見えるほどの近い場所であり本来日本領土であると言われているのに、そこにさえ行かれないのは、やはりおかしいと思う。

 

シベリア北東部の人口が約500万人で北海道と同じくらい。両地域が共同で一つの経済圏を作ればかなりの事が出来るちょうどよい人口数だから、そういう発想で交流できるようになれば面白いのではないかという意見。

 

グローバリズムは一見平和な世界交流のように見える部分もあるが、大量の資金が動くという事が目的化されているグローバリズムは(現実には世界規模での格差を広げ)金の力で突き動かされるような旅行が増えたとしても何かおかしな方向に向かっていて、格差が広がる事に歯止めがかからない状態になっているのではないだろうかという意見。

 

 

その後、敵基地攻撃の関連から、イージス艦とはどういうものなのだろうかという事で、しばしの語り合いがありました。

語り合いでは、それぞれの聞きかじりの意見が多かったのですが、ある程度詳しい内容が知りたい場合は以下のWikipediaをご覧ください。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%B9%E8%89%A6

 

 

その後の語り合いは、日本における「敵基地攻撃論」の歴史のような内容になりましたが、歴史はともかく今現在表に出て来た安倍前総理の意欲について考える必要があります。以下のデモクラシータイムスの動画が分かりやすいと思います。

 

安倍談話「敵基地攻撃能力」自衛隊

https://www.youtube.com/watch?v=CtBmQsUbx8g

 

あらためての意見として憲法、特に9条を護る必要性の話になりましたが、安保法制のような解釈改憲されたような状態の9条を護るという話ではなく、安保法制を憲法違反としたうえでの護憲にしなければならないだろうという意見となりました。

安保法制の憲法違反を訴える裁判が各地で開かれていますが、公正な司法判断が果たして期待できるのかどうかが問題です。

 

 

 

 

次に取り上げたのは、今回持ち込みの記事で、前回にも話題に上がった「食料自給率」に関するもので、前回の語り合いの続きとなりました。

9月13日北海道新聞『記者の視点』(生田憲記者筆)

 

《低迷続く食料自給率 危機想定し生産基盤強化を》

 

記事の内容は、食料自給率を上げようという計画はあるのだが、外的な要因(気候変動や他国との関係性などの中)で予定通りに増やすことが出来ていない。次の政府には、食糧安全保障の観点からも食料自給率の向上を期待するという内容。

 

この記事を題材に語り合いました。

 

前回からの続きという事で、食糧生産に強い国と他の産業が強い国とが互にグローバルに補い合う国際分業という世界観が良いと思って来たが、そういう考えと自国の(食料安全保障の観点からも)食料自給率を出来るだけ上げようとする考え方は、相反すると思うが、その整合性とはどういうことかという疑問が出されました。

 

これに対する、明確な答えとなる意見は出ませんでした。

 

戦後の教育の中では、確かに日本は資源に乏しく食料さえも自国ではまかなえ切れないけれど、工業用の材料輸入と優良な工業製品を製造して輸出する事で外貨を得られ食料品も輸入できる、日本は工業立国として国際的な分業の一翼を担う国になるのだというような壮大な夢のようなものはあったように記憶しています。

 

連絡係(Y)としては、これ(日本は自国の農業だけでは食料をまかなえない)が本当なのか?工業の方が農業よりも近代的・先進的な産業だから、工業で世界に名だたる国になる事が先進国になる近道と判断して農業を軽視したのではないか?

そういう当時の政策の本音の部分の検証が必要かも知れないと思っています。

(本当は、食糧の自給は出来たはずなのに、その道を捨てたのではないかという懸念、その方向性が未だに尾を引いているのではないかという懸念です)

 

前回今回と続けて『食料自給率の向上』について語り合いましたが、食料を輸入するという事には、かなり大きな問題が潜んでいるという事についても今後考えなければならないと思います。

 

以下、注目動画

https://www.youtube.com/watch?v=18lHOv2QWgs&t=3917s

 

更に、『食』との関連で『水』の問題も重要です。

https://www.youtube.com/watch?v=lPM9rPTNli8

 

 

 

 

最後に取り上げたのは9月15日毎日新聞、文化人類学者の上田紀行氏の寄稿

 

《自ら考え決定する社会へ》

 

を題材に語り合いました。

 

これは、佐藤優氏と山口次郎氏の共著『長期政権のあと』を題材に、その長さを誇る安倍政権が終わった事を受けて、その長きに亘った政権がどのような成果を残したのかを考えると、ほとんど何も無かったという事を実感するというもの。

アベノミクスで経済成長したかのごとくに喧伝するが、日本の国民はこの間に明らかに貧乏になった。

国難とも言えるコロナ禍では何も出来なかった。

長期政権になったのは、それを目的に選挙に勝つ事だけが目的化した結果だった。

 

こうした実り無い8年余りを経てもなお、今後の展望(経済重視から、思想的な充実に向かう事)に期待を込める。その中で欠かせない教育に特に言及し、自分自身で考えられる人材のいる社会へと向かうべきだと言う、そのような内容の記事です。

 

提出者は、安倍政権が残した成果とは何だったのかを考えると、「本当に何にもなかった」という事をきちんと確認できるいろいろな記事の中から、比較的その事が簡潔的に書かれている事と、にもかかわらず後半に今後の展望に光明が持てる内容が載っていて期待が持てる記事だと思っての持ち込みでした。

 

今後の政治に希望的な余地がまだあるとは言え、安倍晋三氏は見えなくなったとは言え、表の顔はともかく裏では『安倍晋三の欲望』が残り続け、顔が見えなくなった分かえって分かり難い政治が続くのではないかという懸念の意見。

 

その後語り合いでは、この記事の中で「重視すべき思想」として挙げられている『高負担高福祉』という事について集中的に意見が出ました。

 

高負担しても、生涯安心して暮らせるのであれば、その方が良いと思うという意見。

 

そこから高負担とはどういうものか?というそれぞれの意見に進みました。

 

福祉が北欧ほどには充実していない日本ではあるけれど、実際は今現在でも北欧並みの負担をしているのではないかという意見。

福祉を受けたかったら高負担しろというのであれば、それは自助であって福祉ではないのではないだろうかという意見。

 

こうした語り合いが続く中での時間切れとなりました。

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2020年9月2日『新聞読んで語ろう会』例会の報告

 

今回の例会は、30人定員の部屋で、入り口ドアと窓を開放し、手洗い用アルコール消毒液設置にて行いました。

参加者15名という事で、何とか定員の半分の人数に収まったという事でしたが、久しぶりの大人数での語り合いとなりました。

 

《格差是正のために 透明性確保しデーター活用を》

 

最初の題材は、朝日新聞の連載記事『論壇時評』で8月27日の記事、

津田大介氏が執筆したものです。

 

この記事を持ち込まれた方の意向は、コロナ社会(Covid-19)の問題点の取り上げ方(対処の仕方やコロナ後の捉え方)で、自分が思っていたことが書かれていると思う記事だったのだけれど、いろいろな人に聞いてもなかなかすっきりした賛同がえられず、『新聞読んで語ろう会』の参加者はどのように考えるのか聞いてみたいという事での持ち込みです。

 

記事の内容は、津田大介氏が6つの(ネットや雑誌などの)出典物

(1.  原田泰、2.出雲充+吉野次郎、3.橘玲、4.宮本太郎、5.宇野重規+渡辺靖、6.村井純+外薗祐理子)

を引用しながら日本のコロナ社会の対応から、国家のあり方についての考えを示したものとなっています。

文章構成が、紙面の関係なのか6つの文献の内容についての詳細がほとんどなく、津田氏がそれぞれの文から一言二言引用するという文体で進められているのと、多岐にわたる題材が混在していて一読して理解するのが難しい文章で、その内容を要約する事も大変だと感じます。

 

連絡係(Y)がその要約に挑戦してみたのが以下のものです。

 

この記事のキーワードとして『いいとこ取り』、『トリレンマ』があります。

コロナ対策の3要素として

1.  経済活動の再開

2.  感染抑制

3.  プライバシー保護

があり、この3つすべてを充実しながらの対策は出来ない(トリレンマ)であろう中で、各国が3つの中の何を犠牲にしながら対応したのかという事と、我が国はどういう対応をしたのかを論じています。

結果として日本は3要素のすべてに『いいとこ取り』をしようとしたために徹底した対応が出来ず、未だにコロナ対策が曖昧なままになっていて、それは1970年代の石油危機以来の日本の政策上のやり方にも通じていて、『いいとこ取り』をしながらじわじわと格差が広がる社会になっていてそれを抑えることが出来ないままで来てしまった事と相似形をなしている、すなわちこの旧態依然とした危機管理意識によって今回の感染症に上手く対応出来なかったのだという論評となっています。

 

このような多少難解な記事を題材に語り合いが始まりました。

 

何を犠牲にするかという考え方をする場合、真っ先に出て来たのが、プライバシーをどう考えるかというところに焦点が当たりました。

 

プライバシーを犠牲にするというやり方は、出来るだけしない方が良いというのはこの感染症が始まる前であれば当たり前だと言われていたのに、それが今はどうなっているのか、変わって来ているのではないかという意見。

感染症が起きる起きないにかかわらず、プライバシーとか自由とかは一定程度制限されるのは民主主義社会の中においても必要だったのではないか。時代に即した制限は常に考えられなければならず、プライバシーの問題を感染症と結び付ける事の意味がよく分からないという意見。

 

平時にはただ守ればいいと思っていたプライバシーや自由というものに関してのあり方の問題点が、この感染症によって表に出て来たと思うという意見。

 

感染症を防ぐという目的のためという理由でプライバシーを国家が管理するようになると、その目的が終了した後にもその管理体制だけが残ってしまうのではないかという事が不安だという意見。

この状況で、プライバシー管理についての市民の議論などがないまま次の感染拡大が起きた時に、その管理体制が不用意に充実してしまう可能性も考えられて不安だという意見。

 

いま日本でプライバシーを犠牲にするという考え方に否定的な意見が出たのは、結局国民が国家を信用していないからではないか。

プライバシー情報を政府が管理する事が感染症の拡大を防ぐ為に必要であると説明しても、データーの改ざんや隠ぺいなどを常習的にするような政府ではなんだか信用できないとなれば、プライバシーを犠牲にするという事に臆病になってしまうのは当然ではないだろうか。

 

現実に、Covid-19患者の発生状況が、年齢性別発症地域非公表という発表のやり方では何が何だか分からず不安なのでもう少し具体的な公表は必要ではないだろうか?ただし、公表される場合のその個人をきちんと保護できなければならないと思うという意見。

 

ここで、そもそもこの記事では検査を充実させるという方法論について一切触れられておらず、3つの要素に分けてどれを犠牲にするのかというやり方で感染症が社会的に及ぼす影響を抑えるというわかりにくい話にしているだけなのではないのか?という意見が出ました。

 

この意見をもとに、そもそも感染症拡大を防ぐとされているPCRなどの検査の拡充という問題とちゃんと関連付けていない内容では意味がないのかどうかという事での語り合いとなりました。

 

連絡係(Y)が思うに、おそらく津田氏が言いたかったのは、疫学的にか病理学的にか感染症学的にか、そういう医療的に感染を防ぐという技術やシステムの事ではなく、社会の仕組み全体の中に感染症を抑えるような事にそぐわない部分があるのではないかという視点で、日本に蔓延している危機管理の弱さのようなものを指摘したかったのではないかと思いますが・・・・

はたしてこの記事が言いたかったことは何なのか?

 

その後、この記事の中でも、また以前から多くの記事にも出てくる(以前の例会でも何度となく語り合った)『コロナ後の世界』というものについて、改めてどのような印象を持っているのかについて語って頂く問いかけを致しました。

『コロナ後の世界』が、単なる『新しい生活様式』で済まされるはずはないという事での問いかけです。

 

そこで答えて頂いた意見は、『コロナ後』の経済という事についてを考える為には、今コロナによって経済的などのような問題が暴かれて来ているのかの認識がなければならない。

たとえばエッセンシャルワーク(生活維持に不可欠な職業)があるのだという事が分かった反面、どうしてもなければならないとは言えないようなどうでもいいような産業が経済の中核をなして、むしろその分(保健所が半減するなど)エッセンシャルワークの方が少しづつ削られたという事が、今回のコロナであぶり出されたのであれば、コロナ後の経済は何を中核にすべきかという事も考えられるだろう。

食料自給率については以前から問題にされて来たけれど、なかなか改善されなかった。輸入に頼るという事がいかに不安であるかという事が実感できたはずだ。

ではマスクなどの医療用品が自国で生産されていないという事についても今回分かって来たのだけれど、そういう経済の質やあり方について問題に取り上げる事が出来てはいなかったという事などを再確認する必要がある。

そういう分析・認識があって初めて『コロナ後』という事が検討出来るのではないかというご指摘がありました。

 

具体的には、(今まで目指して来た一極集中の効率追求型だけではない)地域分散型の産業構造でそれぞれの地域で出来る事を充実しながら近隣の他の地域と弱い部分を補完し合うようなやり方の方がコロナには強い社会になる、というような意見が聞かれました。

 

その後「地産地消的な考えと、一方では地球が持っている資源の相互の融通という点からは世界が協調し合うという事は重要だと思うのだけれど、両者は相反する事ではないだろうか?それをどう考えたら良いのだろうか?」という質問が出ました。

 

これに対しては、食料に関してはもっと自給率を上げる方向に向かわなければならないだろうという意見で一致するところでした。

 

基本的には地域分散型を目指すべきで、(日本の人口減少という悪条件の中)北海道は過疎化が進む世界的にも最も悪条件のところではあるけれど、他の地域よりも地域分散型を実現する条件はそろっているだろう(食料自給率で言えば非常に高い)。

北海道では、例えば農業生産・加工そして販売を一貫して行う第次産業化でやっていける要素が十分あり、それに向けての議論も散発的には出て来ていると思うが、それを具体化するところまではなかなか行けていない。

 

その、行けていない原因は何だろう?という質問。

 

本来国の政策でも地方を開発発展させるような目標だったものを、東京・大阪・名古屋などを中心とする大都市開発(世界に名だたる大都市を作る)の方向へ政策転換した時(中曽根内閣時代)から地域分散型が未だに出来ていないという事だというお話です。

地方自治の権限が確立できない中では、良い考えが出ても実現は難しいという事のようです。

 

 

時間がなくなる中、次の題材に移ります。

 

もう一つの題材は、北海道新聞8月31日の「リサーチさっぽろ」より


《SNSの規制強化をどう思いますか》


という記事について、残りのわずかな時間で語り合いました。

 

この記事の内容はずばりSNSの規制強化の是非についてのアンケート結果。

「規制強化に賛成」が74%に上り、「規制強化に反対」と答えたのは7%です。

従来から言われている「言論の自由」に関して一定の規制をする事を、国民の大多数が認め始めている事を意味しています。

SNS上の意見発信の中に、あまりにも目に余る内容や言葉遣い、明らかな人権侵害に、多くの人びとが不快感を覚え辟易として、いっそ規制した方が良いと思うようになったのではないかと感じます。

 

今日の語り合いの、前半で問題になった感染症拡大を防ぐ為という方法論の中で「プライバシイーを犠牲に」する事の必要性についての話が出ましたが何かそれにも通じるような内容ではないだろうかという意見。

 

実名投稿以外は出来ないようにすべきではないかという意見。

実名のみの投稿しか出来なくなれば、やはり正当な意見発信でもしずらくなって発言出来なくなる人もいるだろうから、匿名でも発信できる方が良いという意見。

 

ボット(自分の意見を機械的に拡散して賛同者が多いように見せかけるシステム)を使う事は絶対に禁止すべきだという意見。

 

「言論の自由」という問題を考える上で、では自由とは何なのか?というところに話は進みました。

 

あまりにも膨大ないろいろな情報が飛び交う中で、自分は自由な発想や判断が出来ているのかどうか、いつの間にか間違った情報で勘違いしているような事はないのだろうか?という疑問も出てきます。

 

民主主義という形態があっても、そこで集団的に洗脳されてしまった人々が選挙で投票しても、それは民主主義ではないのではないだろうか。

個人が個々に自由に自分の意見を持てるようになるのには何が必要だろうか?

 

やはりちゃんとした教育を受けるという事が重要なのだけれど、その教育自体が例えば政府にかたよった意向の中で進められれば、むしろ危険になる。

現在の教育現場でも、教科書最優先でそこから外に踏み出すような教育が出来ない現状になっているというお話。

そこでは、教科書がいの教育をしている教師を他の教師や保護者が密告するような制度さえできているというお話。

道徳教育が制度化され、検定教科書に沿って行うように管理されているが、その道徳の教科書には信じられないようなばかばかしい内容もあるというお話。

 

という事で、情報があふれかえる日本で、なかなか民主主義を学ぶ場が狭められて来ているという事でしょうか。

今回はここまでです。

 

2020年8月19日『新聞読んで語ろう会』例会の報告

 


 

今回も定員24人の部屋に14人分の椅子を用意し、窓と入り口のドアを開放して行いました。参加者は11名でした。

 

今回の最初の題材は7月17日の北海道新聞朝刊第6面の【聞く語る】というコラムの、

《近場での小旅行 リピート率高く、すごく大きな市場》

という記事からです。

 

この記事の内容は、星野リゾートの社長星野佳路氏へのインタビュー記事で、

特に今回の感染症などの影響を考えても、国内での旅行による消費額で17%しかないインバウンドに頼るような観光業ではなく、国内の観光特に近隣の観光客へのサービス(マイクロツーリズム)を充実させる観光業の方が、安定的な収益が見込めるだろうという主張が書かれています。

いくつかの提案の中には、その近隣の小旅行を(密を避ける意味でも)同一時期に集中させないための休日の分散などを国全体で政策的に行う事なども提案しています。

 

この記事についての語り合い。

お盆や正月は分散させることは出来ないのではないか?確かに年間平均して密にならない程度に安定した集客が出来るという事は、(星野リゾートという業者の立場的には)商売上もとても良い事だろうとは思うけれど、お盆や正月の休暇という日本の文化としての生活を変更してまで行うという意味は感じない。

 

ゴールデンウィークなどを分散させることは可能かもしれないが、いろいろな産業での横の連携が出来なくなる恐れがある。

 

安倍政権の目玉の一つだと思っていた、「インバウンド、インバウンド」と言って円安政策までしていた割に、意外と外国人の消費が少ない事(17%)について驚いた。

そういう外国人観光客の消費に頼るような国の経済のあり方は間違っていたのではないだろうかという意見。

そもそも国内外を問わず、観光業という産業が国の基幹産業であるという基本方針自体に問題はないのか?もっとほかの産業、例えば国民が全員食べられるだけの食料だけは国で生産するというような事の方が大事なのではないだろうか?

このような語り合いが続きました。

 

 

次に取り上げたのは、8月9日の北海道新聞《異聞風聞》で、東京編集局長斉川誠太郎氏の執筆による

《「もったいない資源」を電気に》

という記事での語り合いとなりました。

 

廃棄食品をエネルギー源とする羽村バイオガス発電所(東京都羽村市)に対する期待から始まり、今後の日本のエネルギー政策の再生可能エネルギーへの移行を提案する記事となっています。

 

廃棄食品のバイオ燃料化やその過程でのさらなる廃棄物質を安全な肥料にするという方法についての称賛の意見がある一方、この方法で廃棄食品が(フードロスとして)大量に排出されることについては考えなくても良いという事になってはいけないのではないかという意見も出ました。

 

 

ここから日本のフードロスをいかに減らすかという問題意識と『食料自給率』についての語り合いとなりました。

 

その他、未だに原発ゼロ宣言が出来ないどころか、まだまだ将来まで原発に頼る事を主張する電力会社や政府関係者、国会議員がいるという事について、それが世界の常識から見てもう普通じゃない、常軌を逸しているのだという事を理解できないほど頭がおかしくなっているのではないかという意見など、原発政策への不信が語られました。

 

私たちが例会でこうした題材で語り合った2日後にYouTubeで次のような番組が配信されました。

822 #D2021 企画 Dialogue vol.2 食と民主主義を考える》

https://www.youtube.com/watch?v=18lHOv2QWgs

これが私たちの語り合いといろいろと重なるところがありますが、私たちの『語ろう会』と比べ、かなり平均年齢が若い方々のお話が聴ける事、また若手の学者の方も参加しているという点ではまたさらに掘り下げられ、とても参考になる番組だと思いました。

例会の延長戦だと思ってご覧になってみて下さい。



20200805『新聞読んで語ろう会』例会の報告

 

今回はドアと窓を開放した24名定員の部屋に、14名分の椅子を用意しました。

手の消毒用アルコールジェルも用意。

参加者は9名でした。

 

最初の題材は7月30日の北海道新聞で、シリーズ表題《戦後75年》より

 

「反省」の忘却 直視が必要 主権者教育と若者逮捕 という記事

筆者は京都精華大専任講師、白井聡氏

 

約1800文字ほどの文章の中身はとても濃いもので、一文一句が重要な内容であり簡単な要約で紹介する事が難しいのですが、「戦後」と言う時のその意味とは「単なる戦争終結後の時代」とはとらえず、「戦前戦中に起きた事、行った事の反省の上に立つ時代」と意味付け、そうした「反省」がどんどんと忘れ去られ、今行っている国のあり方や教育からは「戦後」すなわち先の大戦での反省の上にはもう立てなくなって来ているという事を、いくつかの事例を上げて訴えているという内容です。

 

この記事のキーワードには『常人逮捕』と『転び公防』

https://keiji-pro.com/columns/5/

 

現行犯の場合に限っては誰にでも犯人逮捕をする権利がある『常人逮捕(私人逮捕)』。

そして「公安警察が、デモ弾圧などをする際に自ら転ぶ等して公務執行妨害を演出するという公安警察伝統の技」というのが『転び公防』。

 

私人による逮捕の権利権限について、前から知っていたという人とそんなことが出来るのは初めて知ったという人と二手に分かれる形での語り合い。

 

検察による起訴と有罪率(99.9%)の話。

 

起訴前の身柄の拘束期間が(特に民主主義国家と言われる先進国の中で)突出して長い拘留が行われている、いわゆる『代用監獄』制度についての語り合い。

自白すれば拘留を解き、自白しなければ長期間拘留し続けるという手法は、えん罪の温床にもなっているという話。

 

 

補足記事として持ち込まれたのは、「懸けマージャン」事件で辞職に追い込まれた元検事長黒川氏と新聞記者が、いずれも不起訴処分(起訴するほどの懸け(賭博)ではないと判断)としたことに、抗議の意味を込めた国会前路上での『黒川杯マージャン大会』での(あわよくば転び公防をしかねない)警察の対応を取材した記事。

 

起訴猶予の判断基準。黒川元検事長と新聞記者たちによる『懸けマージャン事件』全員不起訴処分とは?などなど・・・

公権力が、一種のブラックボックス化された中で恣意的に運用されているケースが多々あるのではないだろうかという疑念疑惑が語り合われました。

 

次の題材は

Covid-19

PCR検査を増やさない(増やせない)理由についての考察

前回の例会中話題になった、その翌日の『玉川徹そもそも総研』の番組を見た感想などを話し合いました。

医系技官のコミュニティーが、『擬陽性による間違った隔離をする事が人権侵害になる恐れがあり、それを訴えられた時に裁判で勝てないから、検査を増やすのはリスクが高い』という放送内容でした。

要するに我が国では『人権問題』を重視するためにPCR検査をむやみに増やすという事は出来ないと考える人々が、専門家会議やその後の分科会のメンバーの中に多くいるという事のようです。

 

この報道について、「それは違う」という意見のお話が出ました。

 

「それはカモフラージュであって、実際にはそうした医系技官のコミュニティーとは戦前の細菌等を使って感染症を発症させる武器(細菌兵器)開発等の研究機関として活動していた731部隊の流れを受けた人々で、Covid-19について彼らの知りたがっている事は『人間に感染する新しいウィルス』の特徴・特性であり、人体実験ではないけれどこうしたウィルスがどのように感染して行くのかということまで観察したがっている。今回の感染症からどうやって国民を守るかという観点ではなく、今回のウィルスがどういう性質のものなのかという研究材料としてしか見ていない。そのような視点から考えると、むやみに検査数を増やす意味などない。731部隊の事を表に出すわけにいかないから『人権問題』などという言葉にすり替え誤魔化しているだけだ」という知り合いのあるお医者さんの見解が紹介されました。

 

確かに、当初PCR検査が増えない理由として、「感染研(国立感染症研究所)が既得権を守るために検査を自分たちの管轄でのみ行っていたため」という話があった事を思い出します。

https://www.niid.go.jp/niid/ja/from-idsc.html

感染研の意図がそのようなものであるという事は(731部隊の事は別としても)全くあり得ない話ではないし、その場合の「既得権」というのは「金銭的な権利」ではなく「研究で得られる内容の独占権」という意味になるのだろうと思います。

 

実際、GoToトラベルが前倒しされ実施する直前、東大の児玉龍彦氏が国会で証言した「東京・埼玉型の変異が起きていて、そのウィルスの感染が広がりつつある」という事を感染研も同時期には把握していたという事が分かり、金子勝氏は「感染研はその事を知りながら国に進言もせずGoToトラベルを止めようとせずに黙っていたのか、国はそれを知っていてそのままGoToを始めたという事になる。おかしいじゃないか?」と言っています。

極論的に解釈すると、GoToトラベルの有無だけではなく国家中枢は「ウィルスが都市部で蔓延してそれが地方へと広がって行く様子」を人体実験まがいに窺っているようにも見えて来るとすれば、ちょっと恐ろしい話になります。

https://www.youtube.com/watch?v=zUIPdrclNr8

 

それ(人権に配慮)が真実であるか否かは別としても、Covid-19禍、政府厚労省などからは度々「人権に配慮」しなければならないとしてPCR検査を増やさない理由付けにしてきたと思います。

 

しかし日本は、先進国の中でも名だたる「人権後進国」であるという事を思い出さなければなりません。

多くの事で日本は人権に配慮できない国であることを国連から指摘されて来ています。

『人種差別撤廃条約における諸問題』

『先住民族の権利回復の問題』

『難民認定の問題』

『入国管理における外国人に対する処遇の問題』

『在日外国人に対する処遇の問題』

前段でもあった『代用監獄制度の問題』

そして『ヘイトスピーチ解消法の問題』

 

我が国が『人権』を慮っているとはとても思えないほど問題が山積しています。

そういう政府が『人権』を楯にするというという滑稽さにあきれてしまう意見も出ました。

 

その後、語り合いでは、このヘイトスピーチの事が取り上げられました。

 

何がヘイトスピーチで、何が言論の自由なのかというそもそもの解釈論についていろいろな見解が語り合われました。



 

20200722『新聞読んで語ろう会』例会の報告

 

今回の参加者は10名でした。(30人用の部屋で、16脚の椅子を用意)

(このところの)いつものように、窓と入り口のドアを開放しての例会です。

 

今回最初の題材は、やはりCOVID19関連の記事から始まりました。

2ケ月ほど前の5月20日の朝日新聞

《 機能不全あらわ 危機に弱かった「1強」政権 》

という記事。

 

7年前から「感染症対策の充実」を訴え続けて来た共産党の田村智子氏の先見性のある問題提起の紹介から始まり、その訴えとは逆に予算を減らし続けた現政権の政策の結果、今回の感染症に対応する人員も物資も間に合わない状況になっていて、重要なはずのPCR検査数が一向に増やせないという内容の記事。

 

2ケ月前の記事と言いながら、実は今もほとんど状況は改善されないままになっているという懸念が多くの参加者の意見でした。

 

最も不可解なことは、やはりなぜ日本では未だにPCR検査を他国並みに増やさない(増やせない)のだろうか?という事です。

この記事が書かれた時点では、確かに専門官の人員数や試薬の不足が原因だったと言っても説明がついていたかのようにも感じます。

しかしその後(2ケ月もたった今)、政府は検査件数を大幅に増やす(増やした)と言っている割には、そのキャパ(最大許容量)自体も世界のレベルから程遠いばかりか、キャパを目いっぱい使って検査をしているという形跡もないのは何故なのだろうかという疑問。

 

「なぜPCRの検査数を増やせないのか?」というテーマが、翌日朝の報道番組の中の『玉川徹のそもそも総研』でやるという予告があり、見る事が出来る人は見ましょうという話になりました。

 

そしてそうした検査不足状態のまま、すなわち誰が感染しているのかが分からず、自分さえも信じられない中で政府キャンペーンの「GoToトラベル」を前倒しで始めるという事に対する懸念も出ました。

 

特に首都圏、その近接地域からの旅行者には来てほしくない。怖いという意見が多く出されました。

 

しかしながら連絡係(Y)が思うに、では旅行をする人を悪者扱いするのかと言うとそれはもしかすると違うような気もします。

 

政府が、「あなたは感染者ではないのだから、感染者のいないどこそこの地域、施設には自由に行っても大丈夫ですよ」とお墨付きを出したうえでの経済推進であればほとんど問題はないでしょう?

そうしたお墨付き(PCR検査による陰性証明のようなもの)を積極的に出そうという姿勢はまったくなく、マスコミを使って「経済も大事、経済だ!経済だ!」と国民を洗脳状態にして、さあキャンペーン開始ですと始めているような気がしませんか?

 

そうした言わば政府の『あおり運転』で突き動かされる様に旅行する人も、それで旅行者を受け入れざるを得ない人々も、「こんな政府を持った国民は運が悪い」という事になるのかも知れないと捨て鉢のような感じになってしまいます

 

国民同士が反目し合うという状況ではないはずだと(Y)はふと思うところです。

 

 

 

COVID19関係という事で引き続き7月21日の北海道新聞で「道内の病院の危機」を伝える

《コロナ道内病院困窮 

 一般病床休止で減収億単位 

  4月前の経費 補助対象外に》

という記事も題材に語りあいました。

PCR検査数を(表向きでは増やしていると言いながら)現実には一向に増やさないという方針の不可解さもさることながら、感染拡大阻止の為や患者救済のため、更に従来の通常医療の確保の為に国はほとんど何もしてこなかったという事が分かって来たという内容になっています。

結果として未だに医療現場の自主性に任せているという事が、現場の困窮という現実で表面化して来ています。COVID19感染者を受け入れた病院ほど経営が困難な状況になり、従来通りのみの病院でも患者が減る状況で経営悪化になるという事で、いずれにしても病院経営の困窮が進んでいるようです。

 

危険な業務現場にもかかわらず給与が減る事から、ストライキをして訴えたり大量の退職者が出始めてもいます。

 

語り合いの中で、医療現場が窮地に陥っている事を再確認しました。

 

また、現政権がCOVID19対応では機能不全を起こしているという記事について、先の「北朝鮮のミサイル発射」問題の時はJアラートを鳴らすなど、それなりに何か対応をしていたのに今回はまるでなにも出来ずに、まさに機能不全の状態だと思うという意見が出ましたが、ミサイル問題の時に安倍政権が本当に機能していたのかどうかは分からない。確かにJアラートは鳴らしたけれど,それがどれだけの意味があったのかと言うとほとんど何の意味もなかったと思うので、そういう点では当時だって機能不全状態だったのであって今とほとんど何も変わらなかったのではないかという意見も出ました。

 

 

最後の題材は「再生可能エネルギー推進と、非効率石炭火力の廃止計画」に関する北海道新聞7月14日の

《再生エネ加速策も検討 経産省石炭火力縮小議論開始》

という記事。

 

事実上各地域で独占的に電力供給をしている大手電力会社における、非効率石炭火力発電による発電の割合などの統計的な数値を紹介しながら、非効率石炭火力発電を廃止するという経産省計画で各社にどのようが影響が出てくるのかという内容を中心に、新規参入型の電力会社の言い分や、再生可能エネルギーの比率拡大への課題なども書かれている記事。

 

この記事を持ち込んだ理由は、これからは再生エネルギーをもっと増やす方向で考えるべきなのだろうという事を考える上でもこの記事を題材にしてみてはどうだろうかという意図での提出という事です。

 

自然エネルギーによる発電を主用電力にするという方向性がまだまだ日本では少ないのではないか?

 

自然エネルギーによる発電が不安定である事を理由にして一定以上の発電を受け入れないというのは、既存の大手電力会社の既得権を守るというだけのものだと思う。

 

ドイツなどでは再生エネルギー化の方向性が強く出ていて、不安定な発電でも上手く実用化出来るようにしていると聞くけれど、ドイツで出来る事なら日本でもやろうと思えば出来るはずなのに。

 

非効率石炭火力発電を止めて新たに高効率の発電所にすればCO2発生は相当減るという事なのかどうかについての疑問に対して、多少は減るらしいが根本的にCO2が出なくなるという事ではない。

 

最近の(毎年、1年の間にも100年に1度のような事が何度も起き始めている)異常な気象は、地球温暖化が原因なのだろうか?

その地球温暖化は、人間が造るエネルギーのために排出されたCO2が本当に原因なのだろうか?

 

地球の歴史上、人類以前の時代にも火山などの多発でCO2が多く排出され温暖化になった時代もあったらしいけれど、その時代温暖化していく年数はとてもゆっくりと長い時間がかかっていて、産業革命以来の(地球の歴史としては一瞬のような)短期間でCO2が一気に増えた事を考えると、やはり人間が温暖化の原因を作ったと考えるべきだという意見。

 

科学的な説明をしながら、地球温暖化と人間の活動に因果関係があるという証明はなされていないと主張するグループがいるという事の確認。

 

更に、温暖化そのものも起きていないという考えを主張するグループがいるという事の確認。

 

この件については、語ろう会でも昨年8月の『論座』の記事

()()()(じゅ)(せん) 東北大学東北アジア研究センター/環境科学研究科教授の執筆

《ゾンビのような温暖化懐疑論(上)(下)》

https://webronza.asahi.com/science/articles/2019081200001.html

https://webronza.asahi.com/science/articles/2019081300007.html

 

を題材にしたことがありました。

この記事の結論は、地球温暖化は人間の産業拡大によるものと決定できるほど、すでにはっきりと科学的に証明されているという事です。


同執筆者の原発ゼロと石炭火力ゼロは両立できるのか?》という記事も参考に

 https://webronza.asahi.com/science/articles/2020021700005.html



変われない日本

3.11の災害と原発事故発生。

地球温暖化による異常気象の多発。

ウィルス名SARS-COV-2という新型のコロナウィルスによるCOVID-19の世界的蔓延。

国のあり方や人間の生き方を変えなければならない時期は何度も来たと思います。

 

3.11後に、世界の多くの国が脱原発に舵を切り替えました。

日本はこの事故から教訓を得たのでしょうか?

日本人の多くの人も、3.11がきっかけで考え方が変わったと言います。

個人では変わった人もいたのに、国はどうでしょうか?

原発をなくすどころか、まだまだ続けるつもりのようです。

 

地球の温暖化が私たちに何かを突きつけている、そして新しいウィルスによる感染症も私たちに何かを突きつけています。

 

そういう何か漠然とでも突きつけられているという事を考える時期が来ているのだろうと思いませんか?

きっと考える人はまた大勢いるでしょう。変えなければならないと。

そう思うのだけれど、私たちの国は変わる必要性を感じ取っているように見えるでしょうか?

 

現代の国のあり方、世界のあり方に警鐘が鳴らされ、人々の求めるものにも変化が促されていると、そう考えるのは杞憂でしょうか?

塵も積もれば山

先ほど、『新聞読んで語ろう会』の代表N氏より、メールが入りました。

 

次回の2020年7月22日の例会が、通算でなんと100回目になるという事なのだそうです。

 

本年4月と5月にCOVID-19の影響で4回の中止を余儀なくされましたが、それまで2週に1度の隔週開催をほぼずーっと維持して来ています。

次回は節目となるという事です。

参加された皆様、有難うございました。

 

勿論、次回は「記念の特別例会」をするという事ではありません。

いつも通りの参加をお待ちしております。

 

それから、『新聞読んで語ろう会』連絡係のこのブログを始めてちょうど1年が過ぎました。

1年間で44記事をアップしています。

 

読んでくださった方、有難うございます。

 

 

 

 

 

2020年7月8日『新聞読んで語ろう会』例会の報告

 

エルプラザが全面閉鎖を解除した後、6月から再開した例会もこれで3回目となります。

6月10日6名、24日9名と続いて今回は12名の参加となり、徐々に参加人数も回復してきています。

 

COVID-19関連の記事

今回は、前回2番目に取り上げた北海道新聞『コロナ・通常診療 両立苦悩』という記事で語り合った中で出て来た、コロナ関連の各種助成金や融資金などの種類、支給基準や申請に関する疑問が多く出た事を受けて、その補足となる記事3つを題材に語り合いを始めました。

 

道新4月4日「雇用調整助成金の申請急増」

道新4月17日「休業補償 なお拒む政府」

道新5月24日「コロナ支援 制度複雑」

 

今回のこの3記事は、いずれも4月5月のもので、そのころの事を思い出すと「いったい何が起きているのか?どうなるのだろうか?」とい事がよく分かっていなかった時期で、そのころの記事はさすがに記事自体も分かり難いと言うか、政府が出している支援等の要件の複雑さがあまりにもひどく、支援がすぐにでも受けられそうでいながら、実際にはなかなか受け取る事が出来なかった、その始まりのころの記事という事になります。

 

後で考えると、日本政府がこの事態の深刻さや将来に対する見通しについて甘く見ていたのだろうという事が透けて見えるような政策だったことが、見えてきます。

政策のほとんどが実質的ではなく、いわゆる『やってる感』を演出しているので、制度が多岐にわたっていていろいろ利用出来そうに見せかけてはいるけれど、現実に利用しようとすれば複雑であるとかで、断念した人も大勢いたという事がそれを裏付けました。

 

少し前の記事を時間をおいて見ると、(分かり難い内容に当時は必死で喰らい付くような読み方をしていたけれど)そういう事が冷静に読み取れるという事もあるようです。

 

 

給料を補う雇用調整助成金

https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000639652.pdf

https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000639657.pdf

 

持続化給付金

https://www.jizokuka-kyufu.jp/doc/pdf/r2_application_guidance_proprietor.pdf

https://www.jizokuka-kyufu.jp/doc/pdf/r2_application_guidance_company.pdf

 

COVID-19を災害指定にして各種支援金を迅速に支給することが野党側から提案されたけれど、結局実現しなかったというお話も出ました。

 

記事の中では各国の支援金支給の状態も載っていますが、我が国のやり方はそれに比べてあまりにも時間がかかり過ぎた、わざわざ時間がかかるようにしていたという印象です。

 

「普天間問題は日本の問題」


今回2つ目に取り上げたのは、日刊ゲンダイで4月10日に取り上げた「普天間問題は日本の問題」という記事。

軍事アナリストの小川和久氏が出版した新書「フテンマ戦記」にちなみ、世界一危険と言われ続けている米軍普天間基地の移設に関わる出来事の歴史的な流れの中での主張を小川氏に聞くインタビュー記事です。

 

危険除去のための普天間基地の早期移設という必要性がいつの間にか辺野古新基地建設の話へとすり替わってしまった事に疑問が集中しました。

 

その辺野古基地は建設にどれだけの時間と費用がかかるのか未だに正確に見通せない現状となりました。

 

そうした流れを止めて、小川氏が従来から主張していたように使い勝手の良いしかも建設費用が極端に少なくて済む当初案の『キャンプハンセン』地区での建設をした方が良かったはずなのに、何時如何なる理由で辺野古埋め立て案が出て来たのか?という疑問。

 

以前の『新聞読んで語ろう会』ではなかなか見られなかった光景ですが、疑問が出ると数名の参加者がその場でスマホ検索してくれるようになって来ました。

 

結局辺野古移設案が出て来たのが小泉政権時代であるという事が分かりました。

 

それを考慮すると、今は『パソナ』という派遣事業を手広くやっている企業の代表をやっている竹中平蔵氏が、当時は経済指針の決定に大きな影響を与えるようになっていた時期(強く新自由主義を推進した時期)であることから、新基地建設を「普天間危険回避のため」という視点から「事業がらみでの業者利益増大」という視点に切り替わったのではないだろうかという意見。

辺野古は完成しなくても良い。永遠に続く土建事業という点で理想的な場所と考えるようになって来ているのではないだろうかという意見。

 

そこで出て来たのが税金の使途。

 

税金の使途については「ワセダクロニクル」のJUDGIT(ジャジット)画面から細部にわたって検索出来るようになっているという話になりました。

  

https://judgit.net/

この画面の検索欄に、例えば「 パソナ 」と入れて検索すると

https://judgit.net/?keyword=%E3%83%91%E3%82%BD%E3%83%8A

この画面になります。

 

パソナグループそれぞれにどのくらいの税金が渡っているのか?さらに細かく簡単に先に進めるのですが、そこでどういう事業がなされているのかも分かるようになっているのです。

 

税金が何に(どういう事業目的に)どれだけ使われているのか?そういう事に興味のある人は是非このJUDGIT(ジャジット)を活用し参考にすればいいのではないでしょうか

 

最後に、この記事では、辺野古への移転ではなくキャンプハンセンにしておけば費用も少なく、また沖縄県民の納得も得られたはずだという内容ですが、やはりそもそも沖縄の米軍基地負担が多すぎるという観点では、沖縄の中で場所を替えるというだけの考え方自体に問題があるという意見が出ました。

 

幸福度を数値化

 

最後に取り上げた記事は、6月29日の日本経済新聞「日立、幸福度を測るアプリ提供で新会社」という記事。

6月30日付けITメディアというニュースサイトから同じ題材の記事「日立、従業員の”幸せ”見える化する新会社 幸福度測定でマネジメント支援」も参照しながらの語り合いです。

 

スマホアプリや(身に着けた)ウェアラブルセンサーからの情報を分析して、従業員の幸福度をチェックして、幸福度を高めるアドバイスをするという内容。

 

日立の開発担当者の話が以下のURLから見ることが出来ます。

https://social-innovation.hitachi/ja-jp/case_studies/happiness-planet/

 

このアプリで設定している幸福度を向上するという事によって、企業実績が上がるのです。

皆が幸福になりながら、企業もまちづくりもうまくいくという話です。

従業員が幸福度が上がったうえでの話だから良い事じゃないか、という発想のようです。

 

しかしどう見ても人間の幸福を追求するという事が目的ではなく、目的は企業実績向上という事になりますが、皆さんも日立という大会社がこういう事を本気で考えて新会社まで立ち上げたという事にとまどっています。

 

こういうアプリを導入して社員に強要するような会社には入りたくないという若者の意見。

さらに、こういうアプリが必要だという会社の従業員の生き方そのものに問題があるのではないかという疑問。

自分が幸福かどうかをアプリが判定してくれるという事に違和感を感じない社会が近づいてきているという不安。

 

本来、「幸福」というものは非常に哲学的な奥の深いものでいろんな哲学者が「幸福論」を論じているのに、それを簡単に数値化できると考える薄っぺらな発想で、人を人とも思わない、人間の求める幸福とはかけ離れた企業優先のような発想の中に「幸福度」などという言葉を用いることへの懐疑心が語られました。

 

今回は以上です。

2020年6月24日 例会報告


 

COVID‐19禍で再開した第2回目の例会を、2020年6月24日(水)に行いました。

 

従来からそうでしたが、例会からちょうど2週間後の開催という事です。

2週間というとCOVID‐19の感染があったのかどうかを判断する14日間の経過観察期間と一致するという事になりますが、前回出席された皆さん元気に参加されました。

という事は、前回の例会は「セーフ」だったと判断してよいのでしょう。

 

なんとも心もとない判断ですが、ちゃんとした検査が受けられない市民としてはこういう形での判断で胸をなでおろすというのが精一杯という事になります。

 

最近では、保険適応外で個人的に(わずか)3万5千円の費用でPCR検査を受けることが出来るようになって来ているような事も言われていますが、お金持ちはどうぞやって下さいというところでしょう

 

さて今回は9名の参加という事で、少し参加者が戻って来ているという状態での例会です。

 

最初の記事に入る前に、雑学?的な確認。

 

前日の『6月23日は何の日』だったでしょうか?という質問

 

1. 沖縄慰霊の日。75年前に沖縄での戦いが終わり占領された日という事。

私たち参加者の中にはこの日の事をリアルに記憶している人はおりませんが、毎年この日だけは悲劇的な沖縄の敗戦・終戦・占領にまつわる多くの報道がなされてその都度再確認させられるのですが、報道がこのように戦争の残忍さ悲惨さを伝える日が、この日を含め年に数日しかないという事にいつもまた疑問を感じてしまいます。

二度と戦争をしないという誓いを憲法に書きとどめた国であるならば、報道もそれに順じた態度を日々行うべきだろうと思います。

 

2. もう一つの重要な記憶すべき日。それは大幅に改定された日米安保条約の発行の日。今年はちょうど60周年という節目の年です。(いわゆる60年安保闘争があった時の事です)

二度と戦争をしないと誓った憲法を持ちながら、その憲法を軽視無視して再び戦争への道が開かれる憲法違反のきっかけに踏み込んだ日とでも言える、国の誤った判断をした記念日。

この日の事を報道でもいくばくかの記事にはされたものの大きな特集記事とはなりません。

参加者皆で、その60年前という時代について、当時の事を覚えている人は、どんな記憶があるのかをちょっとだけ語り合いました。

 

 

さていよいよ記事による語り合いです。

 

最初の題材は広島の河合議員夫妻の公職選挙法違反に関する北海道新聞6月19日の記事で、元東京地検検事で弁護士の郷原信郎氏の寄稿文、『現金供与の出所に注目』という記事です。

 

河合議員夫妻に1億5千万円という通常の選挙資金の10倍にものぼる巨額の運動資金が自民党のどのようなところからどのような名目で渡されたのかについての、郷原氏の考えが書かれた内容。

 

この記事と前後して(6月23日)、ネット番組で郷原氏が語っている事も参照するとよりわかりやすいでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=r96Tb4X8H70

 

私たちの語り合いでは、この河合議員夫妻の公職選挙法違反による逮捕の件に関して毎日のように多くのニュース報道がなされ、いろいろな憶測記事や新事実のような情報もある中で、それぞれどういう事に注目しているかという事について語り合いました。

 

記事の提出者は、記事に沿って「1億5千万円」の本当の出所がどこなのか?という事に注目していますが、ほとんどの参加者は自民党本部からの金であることは間違いないと思っているようでした。

 

安倍首相に一定の距離を置き批判的な発言もしていた当時の自民党現職議員を(反安倍に対する見せしめであるかのように)落選させるために使った買収資金だったのではないかという意見が多く見られました。

 

この記事の中に「交付罪」という言葉が出ていますが、これはどんな罪なのだろうかという疑問が出ました。

記事の郷原氏の説明を確認しますが、「要するに自民党(の誰か)が河合杏里氏の選挙運動において、その選挙運動員や有権者に対して不正な金銭供与(買収など)をすることを目的として河合氏側に多額の資金を投入するとそれは交付罪に当たる」というような事なのだろうと読めます。

この「交付罪」が成立した場合の量刑についてはなかなか見つけられませんでしたが、選挙に関係する犯罪の量刑は以下のサイトで確認できます。

http://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/units/243061/1-20151106103440.pdf


 

 

二つめの記事に入る前にまたちょこっと雑学で語り合い。

 

新聞報道などでも「コロナ、コロナ」と言うのだけれど、正式名はCOVID‐19です。

さて、このCOVID‐19とは何を表わした名前でしょうか?

 

正解は、「感染症の名前」という事になります。

「ウィルスの名前ではないのか」という声。

 

では今回のCOVID‐19という感染症を引き起こしているウィルスについている正式な名称は?

 

正解はSARS-CoV-2。

SARS-CoVというウィルもあり、これは前回『サーズ(SARS)』という名で恐れられた感染症の時のウィルス名。

SARSというのは『重症急性呼吸器症候群』

CoVはコロナウィルスという事

 

今回名前の最後に「2」と付いているのは、当初COVID‐19が前回のSARSとは姉妹的な感染症ではないかと考えたからという説もあります。

 

SARSの時にはウィルスの威力が強すぎたと言うのか、宿主が早期に発症重症化し死者も多く出たけれど感染が広がる前に隔離されたり宿主の死亡で自らも消滅するなど比較的早期にパンデミックもおさまってしまった。

この時にはワクチン開発も出来ないままの終息だったけれど、ワクチンが間に合わなかったと言うよりもワクチン開発に利益感がないと判断した大手製薬会社が皆開発を止めてしまったという話もあります。

この時のSARS-CoVというウィルスに比べ今回のウィルス(CoV-2)は、潜伏期間も比較的長くその間でも感染力がありその後症状が強く出る人から無症状の人まで多様な症状があり、更に軽傷症状が続いたりいったん回復傾向になった後急激に症状が悪化して重症化重篤化するなど、なかなかその居場所が特定されないまま感染が広まるという点で、明らかに(人間社会に脅威をもたらすという点では) SARSの時よりも進化しているように見えます

 

 

SARS-CoV-2ウィルスに関する最新情報や、感染症対策や検査の状況などに関しての児玉龍彦先生の説明は以下のサイトです。

https://www.youtube.com/watch?v=y6W83Y85zJs

 

 

 

さて次に取り上げた題材ですが、6月21日の北海道新聞『コロナ・通常診療 両立苦悩』という記事です。

 

従来効率良く運営する事を目指して来た医療現場で、COVID‐19感染が疑われる患者を受け入れる病院が担って来た分が他の病院にまわされるなどで負担が急増し、救急患者の受け入れ先を見付けるのに時間がかかってしまうケースも急増したことを実例を挙げ紹介し、医療体制の今後の問題点について問う記事です。

 

医療機関がCOVID-19患者の受け入れをする事によって、病院経営が赤字になってしまうという現状では、患者受け入れ病院がなくなっていく恐れがあり、今後想定されている感染再拡大時に受け入れ病床が不足して医療崩壊になるのではないかという意見。

 

報道上は目立たないけれど、今回すでに医療崩壊は起きていたのではないかと思うという意見。

 

医療現場に全く余裕がないのは何故なのかという疑問の意見。

 

北海度でも全国的にもそうだと思うのだけれど、地域病院の統合や保健所の数を減らして来た事で、何もない通常の状態ではちょうど効率のいい医療体制だったのかも知れないけれど、COVID-19のような感染症が起きた場合はすぐにパンクしてしまうのだろう。今回の感染症が仮に収束したとしてもまた別の感染症が今後起きるという事が想定されれば、今の医療体制ではだめなのではないだろうかという意見。

 

何故そんなに病院や保健所を減らしてきたのかという疑問。

福祉の予算削減の為だったと思うという意見。

 

そこから、自粛に伴う給付金など国や自治体から支給されるお金についての話になり、制度の事とか手続きの事などについての語り合いとなりました。

 

ともかく申請手続きが複雑な事、申請が受け付けられるまでたどり着いてもその後の入金がとても遅いという事についてのぼやきが多く出ました。

 

さらに、感染者の情報通知が送られるアプリを使った情報通知システムでは、感染者と判明した人と濃厚接触した可能性があるという通知を受けられるけれど、その通知が来たからと言ってPCR検査が受けられるわけではないらしいという話についての真偽が語り合われました。

 

医療の経営状況も含め次の記事に移ります。

 

6月4日の北海道新聞、作家平川克美氏が寄稿した各自核論「路地裏の資本主義24」

 

今回の感染症パンデミックが弱者を直撃したが、国としての役割をどう考えるかによって対応が分かれた。

対応が上手く行った国はどちらかと言うと社会民主主義的な国と独裁的な社会主義国であり失敗したのはグローバリズムを推進し新自由主義的な方向に進んだ国、という結論。

 

語り合いでは、この社会主義的なやり方を取り入れた国が成功したという筆者の見方を強く批判する意見が出ました。

自分は若いころは資本主義は悪で社会主義が善だという風に騙されて生きてきたような気がするけれど、それは嘘だったと思うという判断を土台としての考えで、「資本主義が悪」と言うのではなく「良い資本主義と悪い資本主義」があるという事だと思うという意見。今世界の経済はどのみち資本主義的に動いているのだから資本主義を悪と決めつけるのではなく良い資本主義の国になればいいのではないかという意見です。

 

良い資本主義の国というのは?具体的にはどんな国ですか?という質問に対しての答えは「皆が幸せになれる国」という事でした。

 

結構難しい巷の語り合いとなりましたが、もうちょっと詰めなければならないと思いつつ時間切れとなりました。

 

以下のサイトでは「幸せ度」が具体化して来ていますが・・・・?

https://social-innovation.hitachi/ja-jp/case_studies/happiness-planet/

 

 

悪意を持った表示、ヘイトスピーチの源水

 

「善悪」とは、善に生きようと努力思考する人々の概念だ

善を考える人によって悪の概念が生まれる

自分の行いを善と悪の秤に照らし合わせながら

慎重に言葉を選び、行いを選ぼうとする

だから善を行おうとする人々の心の中にはいつも善と悪が同居している

 

ヘイトスビーチ?

差別意識に基づく発言?

ハラスメント?

あおり運転?

自粛警察?

根拠のない言いがかりの書き込み

無責任なリツイート?

歴史の改ざん修正?

何と軽率な、愚かな言動が世の中に発せられている事か

 

こうした発言行動をする人々はどのような概念で生きているのだろう

 

誰にでも、善を行おうとする心と悪を造る気持ちが同居しているものだ

その同居の事を大人になれば誰しもが気付くものだ

大人になる前でも多感な時間を得ることが出来た者であれば

若いうちにその事を心の内で学んでいる

 

しかし驚いたことに自分には正義しかないと思っている者がいる

自分の内には正義だけがあり、悪は自分の外にあるものだと思い込んでいる

いつの間にか正義に基づいて悪をなしている

年を取るにしたがってそうなる人間さえいる

 

自分の行いには悪の概念が入り込む余地がない

だから自分の行いに忍び込んでいる悪に気付けない

自分の内側に同居している悪のうごめきに気付けない

偏狭の精神構造は幼稚そのものなのだ

 

次々と湧きあがってくる正義感

押し出される様に次々と噴出する悪意に満ちた言葉

それが正義という名の悪意である事に気付けないまま

憎悪に満ちた自分の言葉、行いに酔いしれている、

それこそが正義だと思い込んで

 

                                                                            

もう800年ほども前に、道元は言う


造悪(ぞうあく)(もの)()ち、修善(しゅぜん)(もの)(のぼ)

 

                                                                         

善を知り悪を知るという事は

人間として生きる上での慎重な概念

 

悪は自分のにあるものと信じて疑わない

稚拙なる我らが正義の、志士とは言い難き人々

その善と悪が同居する自らの心の荒野を見つけ出し

修善の者となって陞る日が来ることを願わずにはいられない

                                       


  あくつくりながらあくあらずとおも

(あく)(ほう)あるべからずと邪思惟(じゃしゆい)するに()りて

あくほう感得かんとくせざるにはあら(修証義第1章より)

 

 

2020年6月10日『新聞読んで語ろう会』例会の報告



 

4月1日に行った例会を最後に、2か月以上の休止に追い込まれておりました『新聞読んで語ろう会』の例会、6月10日に「やっとこさ」再開致しました。

 

6名参加という小ぢんまりとした再開でしたが、それなりに充実した語り合いだったような気がします。

 

例会の報告の前に、私し連絡係(Y)が今回の再開に至るまでにいろいろ思っていたことと言うか心理状況を先に書いておきます。

 

前回の4月1日の例会を行った時点で、すでに多くの集会講演シンポなどが中止されていた状況の中で、『新聞読んで語ろう会』は結構最後まで平然と例会をこなしていました。

いつも参加される方からも「今回は自粛します」という内容の連絡もかなり増えていた中、それでも10名前後の参加者が来られていました。

しかしそうやってねばって開いていた例会も、そうこうしているうちにエルプラザが全面閉館となり、以降開催することが出来なくなりました。

 

実はこの時点で、正直なところしばらくは「無理しなくてもいい」という気持ちで、何となく安堵したという部分が私(Yにはありました。

 

この「無理」というのは、勿論この感染症のさなかでの「例会開催の是非」という視点での無理というものも当然あったのですが、もう一つ連絡係としての責務という点での「無理」も多少ありました。

連絡係として参加している身としては、例会開催の時にはいろいろな資料を準備する事とか皆さんへの「開催ご案内メール」などを出すというような事、例会当日の『語りあいの進行役をこなす』などで何かと気を使っていたわけでしたが、そうした業務からちょっと解放されたような気分も味わったのです。

 

そうして2か月が経つと、正直な気持ち「ちょっと腰が重くなった」感じがし始めていました。

実際この自粛期間中とされた2か月余りも、私(Y)としては、それまでの数十年間やって来た通常の生業としての仕事を同じようにやり続けて来ていましたので、何だか「仕事で疲れているのにさらに市民の集会にまで参加するなんてちょっとやり過ぎの人生かもなあ」という怠け心が「出て来なかったとは言えない」そういう心理状態でした。

 

何となくくたびれた市民の心理とはこういうところがあるものなのです。

きっとただの市民ではない、いわゆる活動家的な人はこのような「面倒臭い」みたいな感覚など蹴散らかしてどんどんと前に進んでいくんだろうなーと思いましたが、一方「面倒臭い」とちらりとでも思う自分がなぜか自分で許せてしまうのです。

例会再開をお待ちいただいた皆様、たいへん申し訳ない怠け者なのであります。

 

さてこの2か月の間にあちこちでネット会議という方式での対話も行われるようになりました。

このまま「人と人とが顔を突き合わせて対話する」という事が出来ない時代が来てしまったのだろうかという不安が膨らんできて、ネット会議の試みは好む好まないにかかわらず必要性が増してきていると感じました。

 

連絡係(Y)もいくつかネット会議の実験などの試みもやってみました。

そういう過程の中で東京方面で行っている市民のネット会議「たむろする会」に参加するという事が出来ました。

テレビ会議で遠くに住んでいる人たちと居ながらに語りあいが出来るという事はやはり画期的なことだなあと実感しました。遠隔地の方々との意見交換という利点はネット会議ならではの事です。

しかし、会議の進行は時としての通信不良状態が発生して度々中断せざるを得なく、その事が若干のストレスになるという現実も垣間見ることとなりました。

 

こうしたネット会議への参加でつくづく感じたことは、「ああ、やはり皆話したがってる」「意思疎通、コミュニケーション取りたいんだよ」「気持ちの繋がりを持ちたいんだよ」という事です。

 

とても長い前段となりましたが、2か月の間にたどり着いた答えは、やはり「市民が集まって語り合える場は必要だ」という事です。

 

という事で、さあ『新聞読んで語ろう会』再開しましょう。


 

 

再開した今回の『語ろう会』は、ちょっとブランクがあったので記事を題材にする前に、皆さんのこの2か月間の生活はどんなだったのかという事をお話しいただきました。

 

やはり外出自粛によるいわば引き籠り生活の話が多かったのですが、中で印象的なお話がありました。

勤務が基本的にテレワークに変わり週に1度か2度しか出社しないという状態になった中で、テレワークでの仕事というのが朝から晩までやるような量の仕事がある訳でもなく、結局時間を持て余すような生活感で、人によっては時間感覚がずれてしまう者もいたりして、難しい部分があったという事。

テレワークで時間が余ってしまうような状態なのにそれでも何とか仕事になっているものだと感じた時に、コロナ前は毎日出社して会社であれだけ追われるように仕事していたのは、あれはいったい何だったのだろうと思い感じているという内容でした。

 

さていよいよ記事を題材に語り合いを始めました。

 

今回最初に取り上げた記事は、マガジン9に掲載された『中島岳志さんに聞いた:「救世主待望論」から抜け出して、ポスト・コロナに向けたパラダイム転換を

https://maga9.jp/200610-0/

 

また、同じく中島岳志さんが北海道新聞に出された「論壇 ポストコロナの世界観 環境破壊の営みに決別を」の2つの記事を題材にしての語り合いです。

 

中島岳志さんの主張には例えば野球選手の本当のファインプレーというのは難しい事をいとも簡単そうにやってしまう地味なプレーなのに対して、失敗た者や下手な者ほど派手なギリギリのプレーをして見せてファインプレーのようなふりをするものだが、それと同じようなことがコロナ危機での対応の仕方に出ていて、対応が早かった自治体の知事はさらりと難関をクリアしたのに対して初動を失敗した大阪の吉村知事や東京の小池知事はとても派手なパフォーマンスをしたり、攻撃対象を見つけてそこを叩くことでファインプレーに見せかけているのではないかというような部分があります。

 

参加者から、そういう派手な指導者を新たな救世主のように勘違いしてはいけないという意見が出ました。

 

そこで改めて一つの言葉がキーワードとして挙がりました。

それは「ポピュリズム」

ポピュリズムとはいったい何だろう?という事でそれぞれに思っていることを語り合いました。

究極のポピュリズムはヒットラーなんじゃないだろうかという意見もあり、いずれにしても「ポピュリズム」は良い意味で使われることはないですね、内容も考えずに他者を貶めるだけの目的で、誰それはポピュリズムだと言っている場合もあるかも知れないという意見もありました。

 

コロナウィルス関連では、なぜ新型と言うのだろう、どうして新型が出来るのだろうという疑問から始まり、中島氏の記事に出てくるパオロ・ジョルダーノ氏や斎藤幸平氏が、人間がウィルスの居場所を奪ったために行きどころを失ったウィルスが今度は人間を居場所にしようとしているというようなその理屈についての確認などで語り合いました。

 

その後コロナ政策の話に移り、給付金1人当たり10万円という決断が、最低生活保障という考えに基づくと考えればベーシックインカムのさきがけではないだろうかという意見と、生活最低保障という概念ではなくコロナによる生活困窮に対する緊急支援金という意味と捉えるべきで、それだからこそ給付が未だになされていないのは異常な怠慢だという意見。

さらに、緊急なのになかなか出ない給付金という事と、「もうこれ以上持たない」という訴えの言葉がよくテレビなどでかなり前から出ている割には、何とか踏みとどまりながら今ももう持たない」と訴えているそういう感じにも見えて、結構何とかなっているという事なのだろうか?という意見、


しかし、あまり派手にニュースでは取り上げられてはいないけれど、注意して見ていると、コロナ関連倒産の件数だとか、派遣社員・非正規雇用者の解雇がものすごく増えているとか、路上生活者が増え炊き出しに並ぶ人の行列が長くなって来ているというのが出ていて、そういう事がもっと報道で表に出て来ないと勘違いするのではないだろうかという意見。

 

解雇という話から、自分が以前倒産によって解雇された時の経験という事で、「倒産解雇の場合は独立行政法人の何とかというところから補助金のようなものがポンと振り込まれたよ」という話があり、それはいったい何なのだろうという事で後で調べようという事になりました。

 

翌日その事を調べてくださった参加者氏からの報告を以下に記載します。

 

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「賃金の支払の確保等に関する法律」に基づくもので、厚労省の独立行政法人労働者健康福祉機構が取扱っている制度です。

賃金については,従業員の生活を保護する観点から,法律の要件はありますが,未払い賃金については,未払い額(額面)の約8割が独立行政法人労働者健康福祉機構から立て替えて支払われる制度です。
ただし,支払までには多少の手続きが必要ですので,実際に従業員に立替金が支払われるまでには,3か月から半年程度かかることがあります。
ただし、この未払賃金の立替払制度は、倒産企業が清算手続きを行っていることが前提になります。
https://www.johas.go.jp/chinginengo/miharai/tabid/417/Default.aspx

*************

 

以上、今回の語り合いは終始「コロナ、コロナ」という事になりました。



Appendix

プロフィール

連絡係  

Author:連絡係  
『新聞読んで語ろう会』は新聞、雑誌、ネット記事、書籍など、気になるものを持ち寄り、市民目線で語り合う会です。

普通の市民が、生活のこと、政治のこと、社会のことを、あまり生真面目になり過ぎずに楽しく語り合いながら勉強?しています。

このブログを通して、会で見たこと聞いたこと感じたことなどを、連絡係の視点で皆さんにお伝えしようと思います。

連絡先: kataroukai123@yahoo.co.jp

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